人口 |
10億2702万人 |
面積 |
329万km2 |
首都 |
ニューデリー |
宗教 |
ヒンドゥ教(83%)、イスラム教 |
言語 |
ヒンディー語ほか |
通貨 |
ルピー |

※実線は自転車、破線は鉄道やバスの移動です。
インド亜大陸はヨーロッパと同等の広さがあるといいます。インドには十億を超える巨大人口が暮らし、その九割は貧困層であるといいます。インドを訪れたことのない人はもちろん、インドを訪れたことのある人はなおさら、インドで自転車旅行なんて信じられない! そう思うかもしれません。
しかし、インドで自転車旅行、充分に可能です。
インドは旅行者の多い国です。若い人を中心にインドを目指す旅人は多くいますし、世界遺産や仏教遺跡などの見所が豊富なため近年は年輩層の旅行者も増えています。観光客の多く集まる大都市、あるいは有名観光地になると、英語はもちろん日本語で声をかけてくるホテルや土産物屋の客引きが大勢います。中にはしつこく悪質な輩もいます。インド人は押しの強いところがありますから、そんなインド人とのやりとりに疲れ、インドが嫌いになってしまう旅行者も、残念ながら少なからずいます。
正直なところ、僕も観光地のインド人とはしばしば喧嘩したことがありました。
何を言いたいのか、分かりましたか?
そうです。
大都市でなく、観光地でもない、ごく普通の平凡なインドを訪れてほしい。そのためには自転車こそ最適、というわけです。
さあ出かけようチャリンコで。未知なるインドへ!
→ 第八章 南アジア 第九章 ヒマラヤ も御覧ください!
グレートトランクロード、略してGTロードと呼ばれる道は、十六世紀から十八世紀中葉にかけて栄えたムガール帝国の中枢都市を結ぶ皇帝の道です。ムガール帝国発祥の地であるアフガニスタンのカブールから、パキスタンのラホールを経て、現在のインドの首都デリー、そしてタージマハルで有名なアグラまでを結んでいます。GTロードは北インドの主要な見所を結ぶ歴史街道であると同時に、パキスタンへと繋がる国境越えの道でもあり、世界を走るチャリダーには必須のルートでしょう。
僕は地図に示す通り、パキスタンからインドへと入国しました。インドとパキスタンは長い国境を接していますが、互いに仲が悪く、比較的安定して一般旅行者にも開放されている国境は、GTロード上のワガと呼ばれる国境地点のみです。
パキスタン第二の都市ラホールからワガ国境を越えて、インド側の都市アムリトサルまでは七十キロ程度の道のり、半日あまりの距離です。
アムリトサルからデリーまでは四日ないし五日の距離ですが、アムリトサルを含むパンジャブ州はインドでも裕福な州であり、道路舗装状態は(インドにしては)良好で、また沿線にきれいな食堂やドライブインの類も多く、休憩のとりやすい道が続きます。
デリーからアグラまでも(僕はアグラからデリーに向けて走りましたが)おおむね同様です。大都市部は交通量が多く、運転の荒いトラックなども多く、またところどころ舗装の壊れているような箇所もあります。注意して走りましょう。
正直なところ、僕はデリーがあまり好きではありません。安宿が集まるパハールガンジはあまりに汚い。狭い路地をリキシャやバイクが行き交い、牛がのっそりと歩き、バックパックを背負った旅行者と土産物やの客引きと乞食が入り乱れ、ゴミだらけ。旅行初心者をあえてびびらすために、わざと汚くしているのではないかと疑ってしまうくらいです。
インドの首都はデリーではなくニューデリーであると学校で習いました。しかし、デリーとニューデリーの境界がどこなのか、僕はさっぱり分かりませんでした。密集したパハールガンジから少し歩けばコンノートプレイスと呼ばれる広場があり、英米系の銀行などが並び、さらに行けば政府関連施設が軒を連ねています。そこまで行けば道幅は十二分に広く、街路樹が茂り、スーツ姿の上流インド人たちがしゃなりしゃなりと歩いています。
以下、チャリダーにとってのデリー。パハールガンジを含め、オールドデリーの中心部を観光するだけであれば、自転車はまったく不要、むしろ邪魔です。宿に鍵をかけてしまっておきましょう。博物館や大使館など、ニューデリー方面に出かける場合は、もちろんバスやリキシャなどの交通手段もありますが、自転車は案外便利です。
デリーは巨大都市です。デリーに突入するにせよ、デリーから脱出するにせよ、道に迷いやすいのでチャリダーはなかなか大変です。道に不安があれば交差点ごとに人に尋ね、慌てずゆっくり走りましょう。自転車で走ることにより、デリーという都市の大きさを身をもって実感することができるはずです。
インドの自転車旅行はそれほど困難ではありません。道の状態はお世辞にもよくはありませんが都市間の幹線道路であればちゃんと舗装はされていますし、さすが人口大国だけあってどこへ行っても村落があるので途中で食糧が尽きる心配もないでしょう。街道沿いのガソリンスタンドやドライブインには縄ベッドが並んでおり、無料で寝させてもらうことができます。その際は礼儀として、夕飯くらいは注文しましょう。
また、インドにはギア付きの自転車が走っていません。もしギア関係の修理を要する場合は、隣国ネパールに行く必要があります。
南インドの中央部に位置する小さな田舎の村。デリーやバラナシに比べれば訪れる旅行者の数は少ないが、訪れた誰もが絶賛し、かつ多くの旅人がインドで一番良かった場所に挙げる所。それがハンピです。
北インドに侵入したイスラム勢力に対抗し、南インドに栄えたシュリービジャヤ王国の威容が残された場所。村の中央には巨大なヒンドゥー寺院の塔がそびえ建ち、豊かな緑に囲まれた遺蹟は広範囲に広がり、訪れる旅人を圧倒し、かつ温かく迎えてくれるでしょう。
インド人にとっての母なる川ガンジス。その聖河が大きく彎曲し、最も大きなエネルギーを放っている場所、それがバラナシです。
多くのインド人がバラナシを目指します。彼らはガンジス川で沐浴することによって自らの罪があがなわれると考え、また死後はバラナシにてガンジスに流されることを至上の幸福であると見なしています。僕は実際バラナシに向かう列車の中で、死に場所を求めに行くのではないかと思えてしまうような老夫婦を見かけました。
多くの観光客を迎えるバラナシは反面非常に俗っぽく騒々しい町でもあります。僕はあまり気に入った町ではありませんでしたが、それでも此岸から眺めることのできる何もない彼岸の眺めは圧巻で、ガンジスがまさに三途の川であることを感じさせてくれます。バラナシの町はガンジス川の片方の岸辺にだけ形成され、川を渡った向こう側、すなわち「あの世」はただ何もない原っぱが広がっていました。
シャカ族の王子ゴータマ・シッダルタは六年間の厳しい修行の末、この地に辿り着き、この世の真理を得たとされています。やがて遠くアジアの大地を越えて日本まで伝えられた仏教、その始まりの場所がブッダガヤです。
現在のブッダガヤは各国寺院が博覧会のように点在し、巡礼客ないし旅行者目当ての土産物屋や食堂が軒を連ね、物乞いまでもが集まってきており、いささか興醒めの感は否めません。しかしここはまぎれもなく、かつての日本人が天竺と呼び、憧れ続けた聖地なのです。ブッダが悟りを開いたといわれるまさにその場所には、アショカ王が建立したというマハーボディ寺院が空高くそびえ、多くの巡礼者が、そっと手を合わせたり、あるいは全身を地面に投げ打って、真摯な祈りを捧げています。
印度山日本寺では毎日早朝と夕方に参加自由の座禅を行っています。ときに旅に疲れた身体を休め、瞑想に耽るのもよいかもしれません。
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