表紙へ戻る

南米新婚旅行のマイレージで、中国行きのタダ券が手に入った。
来年には長子誕生の予定であり、当面これが最後の旅になる。
前回自転車で横断したときには訪れなかった二大都市、 上海と北京に行くことにした。


 中華人民共和国
(People's Republic of China)
人口 12億9227万人 面積 960万km2
首都 北京 宗教 仏教(大乗)、儒教、イスラム教
言語 北京語、広東語、上海語など 通貨
旅行期間 2006年9月15日〜2006年9月21日(7日間)
訪問経路 (日本)〜上海/蘇州〜杭州〜北京〜(日本)

9月15日
時速400キロと煤けた裏路地が混在する魔都上海


上海リニア 上海リニア

 1週間の短期で中国を訪れた。中国は以前3ヶ月をかけて横断したことがあるが、今回はそのとき訪れなかった2大都市上海と北京を中心に周遊した。経済発展を続ける世界一の人口大国であり、日本にとっては歴史的文化的にも縁の深い隣人である。その中国にあって、上海と北京だけは「別格」であると聞いていた。果たしてどんなものか、一介の旅行者として、中国の「現在」を見た。

 まず訪れたのが2010年に万博を控えた上海。浦東空港から市内へは磁浮列車、すなわちリニアが運行されており、まずその速さに度胆を抜かれた。距離が短いため乗車時間はあっという間なのだが、最高時速は431キロを記録する。もちろん新幹線より速いわけで、感動と同時に一抹の悔しさがあった。日本でも以前から中央リニア新幹線の計画はあるが、工事費用など多くの問題を抱え実現は遠い。上海のリニアは杭州まで延伸計画があるそうだが、強引に土地収用ができる社会制度と、収益を下支えできる巨大な人口基盤が、「強み」なのだろう。(ちなみにドイツでリニア事故が発生したが、このリニアはそのドイツの技術を導入したものだ。中国政府はドイツの事故について報道規制を敷いているらしいが、今後の延伸計画に影響を及ぼす可能性もある)

安宿の一室 南京東路

 リニアから地下鉄を乗り継ぎ、随一の繁華街である南京東路へ。外資系の店舗が立ち並び、歩行者天国として整備された通りは、多くの買い物客や観光客で賑わっていた。意外だったのは、そこから5分も歩けば、ばた臭く埃っぽい庶民的な界隈が広がっていたことだ。

 宿を意味する賓館の看板を見つけ、値段を尋ねると双人房(2人部屋)で180元(約2700円)、もっと安い宿も探せばあるはずだったが、今回は同行の妻が身重ということもあり即決する。発展著しい上海のホテルはとかく高い印象があるかもしれないが、さほど贅沢を求めなければ、いくらでも安価な宿を見つけることは可能だ。受付では日本語はもちろん英語も通じないが、日本人には漢字が使えるという利点がある。パスポートを見せたり、鍵の預かり賃が必要だったりと、手続きの流れさえ理解できていれば、さして難しいことはない。部屋には手洗いやシャワーの設備もきちんとあり、歯ブラシやタオルなども備え付けられていた。

上海の街角 上海の街角

 上海の地下鉄は、券売機があり、自動改札もある。券売機はタッチパネルの路線図から目的地を選べばよく、お札を入れてコインのお釣りをもらうこともできて便利だった(当たり前だと思うかもしれないが、とかく海外においては、コインしか使えない場合や、係員のいる窓口においてさえ釣りがないと断られることが多い)。駅によっては電光掲示の案内表示があったり、ホームドアの設置工事が行われていたりして、進歩の速さを感じた。

 経済成長の証なのか、あちこちで高層建築が工事ラッシュの上海。そのいっぽうで、まるで発展から取り残されたような20世紀初頭の街並が残されている。欧米列強および日本に支配されていた租界時代も、中国人の生活地区として守られていたという豫園の南西地域がそうだ。江南様式の古びた木造3、4階建ての住宅が密集し、洗濯物が軒の間にはためいていた。中国将棋に興じる男たちや、赤ん坊をあやす母親たちがいる。日本では失われつつあるのどかな隣近所の風景だった。

上海の街角 上海の街角

 迷路のような古びた町並みを歩くのは面白いが、一歩道路を挟んだすぐ隣に、警備員付きの高級マンションがそびえていたり、あるいは今まさに建設中だったりして、強烈な違和感を感じさせられた。中国の経済格差というと、沿海部と内陸の地域格差として報じられることが多いが、道一本隔てて、住む世界がまるで違うのだ。その露骨ともいえる差に驚いた。日本でも下町のごみごみした地域と、高級マンションが立ち並ぶ地域の両方があるし、どちらが豊かでどちらが幸せかということは一概には言えないが、道を歩いて肌に感じる落差は上海のほうが圧倒的だった。

豫園商場 外灘
 夜、外灘のライトアップされた遊歩道を歩く。テレビや観光ガイドブックでよく紹介される近代的で豊かな上海。観光客ももちろん多い。しかしそれは、上海の姿の、ごく一部分にしかすぎないのだ。



9月16日
網の目のような運河 水上都市蘇州へ


外灘 外灘

 東洋のベネチアと謳われ、風光明美な運河の街として知られる蘇州。上海から80キロの距離にあり、充分に日帰りも可能だ。私たちは列車で往復することにした。

 ところが、自動化された上海地下鉄の便利さとは裏腹に、この列車利用が誤算だった。窓口が大混雑の上に、直近の便は満杯ですぐ乗ることができず、結果として駅で2時間近く待たされることとなった。上海−蘇州間の近距離列車も、北京や広州のような遠方に向かう長距離列車も、いずれも同じ窓口で乗客をさばいているため、効率が悪い。しかも英語はほとんど通じない。地下鉄の使いやすさに油断していたが、やはり中国。社会主義的なお国柄というか、旅行者にとっての面倒さが、こんなところで顔を出した。

朝食 上海の地下鉄

 私たちの手にした切符は無座。何が入っているのか巨大な荷物を抱えた人々と同じ列車に乗り込み、2階建て車両の階段に座り込んで、乗務員が熱湯入りのやかんを抱えてやってくる様子などを眺めていた。

 1時間ほどで蘇州に着く。鉄道駅は市街地の北にあり、中心部からは少し離れている。周辺人口600万を数える大都市であるが、上海のように地下鉄はなく、また見所は点在しているため徒歩のみでの観光は難しい。駅前に降り立てば、さっそくツアーや宿の客引きが集まってくるが、「不要」「不要」と呪文のように唱えながら突き進み、貸自転車屋を探した。自分の足で自由に観光したいのであれば、自転車は最適の手段である。ちなみに中国語では「自行車」と書く。
上海から蘇州への列車 北塔報恩寺

 三国志で知られる呉の孫権が建立したという八角9層の北寺報恩塔や、明清代の貴族や有力者たちが趣を競って築いた数々の庭園など、蘇州には歴史的な見所が多い。そしてまた、市内に張り巡らされている無数の水路と、水路の周囲に浮かぶようにして立ち並ぶ集落と、そこに生活する人々の風景が、最大の観光要素である。

拙政園 蘇州の街角

 その中で中心繁華街の観前街が意外と良かった。ただの小洒落た商店街かと思っていたが、真ん中に建つ玄妙観が印象に残った。3世紀来の歴史を持つ立派な山門が残り、さらに奥に建つ本殿の三清殿は、中国の木造建築として3番目の大きさを誇るという。殿内には生まれ年の干支に応じた羅漢像がずらりと並んでいて、参拝客は中国式に膝を折って祈りを捧げていた。私も自分の干支の前で手を合わせた。

蘇州の街角 玄妙観

 ちなみに玄妙観は仏教の寺ではない。道教の寺院である。日本でお寺と神社が混在しているように、中国でもまた仏教、道教、儒教が混然として漠たる宗教観を構成している。そんな玄妙観の界隈は広場になっており、さらに周囲には飲食店や土産物屋が軒を連ねていた。大勢の人で賑わうその雰囲気は東京でいうなら浅草寺か。高層ビルも立ち並ぶ大都市蘇州が、そもそも門前町として発展したことをうかがわせた。

観前街 蘇州の街角

 蘇州市街は外城河と呼ばれる四方の堀に囲まれているが、その堀を越えた郊外にも見所はある。隋の煬帝が築いたことで知られる京杭大運河、北京と杭州を結ぶ全長1700キロに及ぶ運河は、万里の長城に匹敵する人類史上最大の土木工事であり、1400年後の今でも現役で水運を担っている。その京杭大運河に架かる宝帯橋という唐代の古橋が、蘇州中心部から南に10キロほどの、新興住宅街や繊維関係の工場群を抜けた先に残されている。非常に分かりにくい場所にあり、道すがら私たちは何度も「騙された」のではないかと思ったほどだ。

京杭大運河 宝帯橋

 橋と運河と寂れた石像や石碑、あとは土産物屋も売店も何もない。地元の人が何人か暇そうにたむろしていたが、私たち以外に観光客らしき姿は見当たらなかった。しかし、眼前の運河に何10隻も連なった数珠つなぎの貨物船が往く姿は壮観であり、船上にはためく洗濯物の脇で上半身裸で佇む男の姿はなんとも絵になっていた。このような場所を観光地として好むかどうかは、おそらく人によって意見の分かれるところであるが、郊外の庶民の生活を垣間見つつ、中国の悠久の歴史に思いを馳せたい人にはおすすめである。

 帰り道はちょうど夕暮れ時。工場の建物群から、徒歩や、あるいは自転車に乗った工員たちが、三々五々家路についていた。



9月17日
西湖の景観が美しい 六大古都の一つ杭州へ


上海南站 杭州中心部

 中国6大古都の一つに数えられている杭州は、詩や水墨画などの文化が発達したことで知られる南宋の都であり、モンゴル帝国の元に支配された時代には、かのマルコ・ポーロが訪れ、「世界で最も美しく華やかな町である」と書き残している。

 上海から杭州へは長距離バスを利用した。列車より値段が高いぶん空いており、すぐに乗ることができた。整備され快適な高速道路、2時間あまりの道のり。今はまだ、運転の荒さや、外国人が自由に訪れることのできない非開放都市の問題があるが、同じ広大な大陸国であるアメリカでは一般的であるように、レンタカーを利用した旅行が、いずれ中国でも流行るのではないか、そんな予感がした。

西湖周遊 岳王廟

 西湖十景と称される西湖を巡る景勝地が、杭州の主たる見所である。天橋立を彷彿させる長細い砂嘴のような堤防や、湖面を埋め尽くす蓮の葉が東洋的な美を感じさせる庭園など、全周15キロの西湖を中心に名所が点在している。蘇州と同様、自転車を借りて巡るのにも適している。西湖一周の道のりはおおむね平坦であり、半日もあれば充分回ることができる(杭州の見所は西湖以外にも多く、郊外に広がっているが、時間の都合で訪れることができなかった)。

 北方民族の攻勢に相対して都が置かれた歴史もある杭州だが、西湖の北西には、女真族の王朝である金に対抗したことで漢民族の英雄とされる北宋の将軍岳飛の廟がある。この岳王廟で有名なのが、岳飛を裏切って投獄・毒殺に追いやったとされる秦檜の像である。妻や部下たちと共に、上半身裸で後ろ手を縛られ、跪いた姿で柵に囲われている。以前は訪れる人々が、1000年経っても消えない恨みを込めて像に向かって唾棄していたといわれるが、「請勿吐痰(痰を吐くなかれ)」と注意書きがされ、実際に唾や痰を吐きかけているような人はいなかった。

岳王廟 西湖周遊

 そんな杭州の印象は、とにかく中国人の国内旅行者が多いということ。外国人観光客の姿も見かけるが、割合として地元のカップルや家族連れが多く、湖畔の道はさながら休日の繁華街のように賑わっていた。日本では今どきこんなにも賑わう観光地はないのではないかと思えるくらい、大勢の人たちが散歩したり、カメラの前でポーズをとったりしてはしゃいでいた。

 中国は物価水準に対して観光地の入場料金が高い。たとえば雷峰塔という湖畔の五重の塔の料金は、40元(600円)である。600円と聞くと大した数字ではないように思えるかもしれないが、食堂で10元(150円)も出せば炒飯にビールが付くことを考えれば、40元というのは相当の額である。感覚的には2000円以上の重みがある。それだけ高額の観光にお金を払えるだけの裕福な層が、ずいぶん増えているということだ。

西湖周遊 雷峰塔

 最近はビザ要件の緩和を受けて、日本を訪れる中国人も増えている(平成15年度の約45万人に対して、平成17年度は約65万人。香港除く)。不法就労の問題など、解決しなければならない課題は決して少なくないが、今はまだ国内旅行で満足している大多数の中国人が、国外に目を向け、日本へ旅行しようと考えたとき、その観光需要がもたらす経済効果は図り知れないものがあるだろう。

 無視することのできない巨大な隣人の勢いを、ひたひたと肌に感じる杭州だった。

雷峰塔 朝食

先頭へ戻る
 
次へ進む