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杭州から北京へは飛行機で行く。
当初は日本で予約していくつもりだったのだが、発券手数料が高く、
また便数がかなり多かったので、現地で買うことにした。
民航航空券売場で当日朝の予約、そのまま空港行きバスに乗った。


9月18日
杭州から空路北京へ


杭州の空港 王府井の繁華街

 杭州から北京へは飛行機を利用した。上海では空港から市街へリニアが走っていたが、北京はバス。オリンピックまでには地下鉄が開通するそうだが、高速を降りたところで大渋滞に巻き込まれ、バスの不便さを感じた。

 北京の印象はなんといっても巨大であること。1つ1つの街区が大きく、またそこに収まっている建築物が巨大であるため、地図で見ると近いように思えても、縮尺を確認しないと、とんでもなく長い直線を歩く羽目になった。

 北京も上海と同様、至るところが工事現場と化していたが、五輪を控えた北京のほうが、より突貫的に町の改造が行なわれているように見えた。天安門広場の東、歩行者天国の王府井大街から少し南、洋風で派手な造りをしたマンション群が、ずらりと建築中だった。東京で例えるなら、銀座や日本橋から徒歩で少し離れたあたりといえるだろうか。そんな場所に1街区まとめて高級団地が形成されるというのも驚きなのだが、より印象に残ったのは、通りを挟んだ向かい側に並んでいた大看板である。

裏路地 改造中の街並

 数100メートルもの距離に渡って、一列にずらりと並ぶ看板群。『文明創建』などと大書され、未来社会のイメージ像や、綺麗な風景などの絵が、何枚も描かれていた。民間企業の商業広告ではない。政府もしくは党の宣伝看板であろう。

 その看板の裏に何があるのかといえば、古びた町並みと、そこに暮らす人々の生活である。

 上海でも近代的な高層ビルと古い木造住居が隣り合わせの風景に驚いたが、北京では庶民の住宅が看板に囲われ隠されていた。もちろん人々がまだそこに住んでいるので、生活道路は確保されており、大通りに繋がる箇所は看板が途切れているのだが、繁華街の王府井から世界遺産の天壇公園へと続く道、観光バスで通り過ぎてしまえば、おそらく看板の隙間にのぞく裏路地に気が付くことはないだろう。

天壇公園 ウイグル料理店

 一方で北京では、古い町並みを保全し、その観光価値を積極的に活用しようという動きがある。故同(フートン)と呼ばれる路地が市内各所に点在しているが、その中で故宮の北西、前海と後海という2つの池を中心とした界隈は、観光地区として整備が進んでいる。池に面してお洒落なレストランも立ち並び、故同の町並みや伝統的な住居を巡る、観光ガイドを兼ねたサイクルリキシャ(輪タク)の客引き攻勢が激しかった。

 オリンピックを2年後に控え、北京は街全体が熱を帯びていた。私自身は生まれる前だが、おそらく1964年の東京五輪のときも、新幹線が走り、首都高が造られ、似たような雰囲気だったのだろう。

大柵欄 夜の天安門

 最近、日本橋の上空に架けられた首都高の撤去話が浮上している。あるいは谷中や千駄木など、古い町並みが残されている地区の人気が高まっている。日本(あるいは東京)が高度経済成長と引き換えに何を失ったのか、これからの時代を生きる私たちが、何を残し、何を伝えていかなくてはいけないのか。

 きっと北京にも、同じような課題が出現しているのではないだろうか。

 もちろん日本と中国(あるいは東京と北京)では、国の事情も、広さも、経済発展の度合いも、そして人々の意識の持ち方も違う。しかし、近代化=西洋化という考え方が過去のものとなり、東洋的な価値観が見直されつつある時代の中で、日中両国が、どのような都市づくりを目指していくのか、お互い参考になる点も、きっと多いはずである。



9月19日
中国四千年の歴史の中枢、北京を往く


朝の天安門 金水橋

 多民族かつ多言語国家であるインドのお札に、17種類もの言葉が書かれているというのは知られた話だが、中国のお札にも、漢字のほか、アラビア(ウイグル)文字、チベット文字、モンゴル文字など複数の言語表記がある。私たちには中国人=漢民族のイメージが強いが、言葉も宗教も異なる多くの民族が、この国には住んでいる。

 首都北京で見かけた多民族国家中国の歴史と現実を、断片的に書き散らしてみる。

太和殿 中和殿と保和殿

 まずポタラ宮。このたび天安門広場の片隅に模型が造られていた。中国語では西蔵と表記されるチベット、その首都ラサに建つ宮殿である。このミニポタラ宮の出現は日本でも報道されていて、9月16日付けのアサヒコムでは次のように紹介されている。

「10月1日の国慶節(建国記念日)を控えて、北京の天安門広場に、チベット仏教の象徴であるラサのポタラ宮のミニチュアが設置された。(中略)ポタラ宮は7世紀に建造された宮殿で、チベット仏教の最高指導者である歴代ダライ・ラマが暮らした。本物は高さが約117メートルあるが、ミニチュアは高さ約10メートル。広場の西端に設置され、背後には全国人民代表大会など重要な会議が開かれる人民大会堂がある。 今年7月、ラサと青海省西寧を結ぶ青蔵鉄道が全線開通し、開通式典で演説した胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席は「民族の団結」を強調した。鉄道効果で、中国ではチベットへの観光ブームが起き、世界遺産に指定されているポタラ宮も入場者が激増。(後略)」

外朝から内廷の眺め 乾清門

 私は残念ながらチベットを訪れたことはないが、インドの仏教聖地ブッダガヤで、祭典に参席したダライ・ラマ14世の姿を見たことがある。集まった多くのチベット人が「Free Tibet(チベットに自由を)」と書かれたマスクをしていたのが印象的だった。ポタラ宮の本来の居者であるダライ・ラマはインドで亡命政権を樹立しており、独立を目指すチベット人の動きに、中国政府は神経を尖らせている。中国政府としては、五輪を機にチベットが中国の一部であり、かつ「良好な」状態であることを宣伝したいのだろう。ミニポタラ宮は、多くの中国人観光客にとって格好の被写体となっていたが、ポタラ宮の背景として造られたヒマラヤとおぼしき白嶺は、いかにもハリボテ然として見えた。

故宮内廷 故宮の後宮

 チベットと同様に独立運動が絶えない地域として、新疆ウイグル自治区が挙げられる。北京市内を歩いていて、チベット系の人や店はあまり見かけることがなかったが、ウイグルの人々や「清真」と書かれるイスラム料理の店は多かった。上海や蘇州でも、烏魯木斉(ウルムチ)と書かれた看板や、名物の串焼きを並べた店をよく見かけたから、思うにウイグルの人々のほうが、したたかに沿海部の都市に出て商売しているのだろう。以前ウイグルを旅したことがある私は、とても懐かしく思った。きしめんのようなウイグル式の麺料理ラグメンはお薦めで、本来イスラムは飲酒を禁じているのだが、中国国内のムスリム(イスラム教徒)はお酒に寛容であり、併せてビールを注文することもできる。

故宮内廷の回廊 故同のリキシャ

 チベットやウイグルとは逆に、中国を支配した民族の足跡もある。北京観光の中心的存在である故宮博物院も、その1つだ。紫禁城とも称される歴代皇帝の居城であり、中華文明の核心のような場所に、かつてこの国を支配した異民族の文字が掲げられていると知って、私は最初意外に思い、次いで納得した。のちに書き換えられてしまった一部を除き、多くの門や殿の扁額が、漢字と、モンゴル文字を改良した満州文字の併記となっている。これは20世紀の初頭まで中国を支配した清帝国が、満州族の王朝であった証である。

前海近くの故同 鐘楼から見下ろした故同地区

 清の歴代皇帝は、自分たちの出自が満州であることを大事に考えていたようで、彼らが残した碑文などにも、満州文字が刻まれているものが多い。ラストエンペラー溥儀が暮らしていた建物も公開されていたが、彼が勉強に使ったというノートには、やはり漢字やアルファベットと並んで、満州文字が書かれていた(実際には清代後期から漢字が優勢になり、彼も、彼の母である西太后も、満州文字はほとんど読めなかったという)。

天安門のポタラ宮 王府井の屋台街

 中国は広い。人口、面積のいずれにおいても、ヨーロッパの総計をしのぐ規模がある。13億人の9割強は漢族であるが、逆にいえば残りの1割、およそ1億人がいわゆる少数民族の人々である。今回は時間もなく訪れなかったが、北京にはチベット仏教の寺院も、中国様式のモスクもある。ひと味違う中国を訪ね、この巨大国家の素顔を探る旅も、おすすめである。




9月20日
中国四千年の歴史の中枢、北京を往く


朝の北京市街 万里の長城(八達嶺)

万里の長城(八達嶺) 万里の長城(八達嶺)

明の十三陵(定陵) 定陵の地下宮殿

定陵の地下宮殿 神路

神路 神路付近の田舎風景

地下鉄の自動改札 夕食



9月21日
中国近代史の史跡を訪れ、旅は終わった


廬溝橋界隈 廬溝橋

廬溝橋 抗日戦争紀念館

抗日戦争紀念館 帰りの飛行機


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