木舟周作(ふねしゅー)の【旅】を極めるホームページ 

「旅に行きたくなるカフェ」たびえもん

ウェブサイトをリニューアルしました。自動的に新しいページにジャンプいたします。
切り替わらない場合は、お手数ですがこちらをクリックして新しいページにお進み下さい。


日曜日&祝日のダブルパンチで立ち往生の、ニューカレドニア実質最終日。
ビーチでおとなしく水遊びして過ごすのはツマラナイ。
窮余の策として選択したのは、やっぱりバス旅だった…。

独身時代の「自転車世界一周旅行」から、
3人の子供たちと一緒に海外を訪れた「旅育」の記録まで、
たくさんの写真とともに紹介しています。
「子連れ海外旅行」の楽しみ方は本にもなりました↓

本バナー

8月15日
窮余の策で訪れたヌー島大当たり


 旅行5日目、明日は帰国のため実質の最終日である。

 私たちは、メラネシア文化を伝えるために造られたチバウ文化センターや、南太平洋の珍しい動植物に出会える森林公園を、最後の楽しみに残していた。

 ところが!! こともあろうに8月15日はカトリックの祝日らしく、チバウ文化センターも、森林公園も、どちらも休みだったのだ。アンスバタからヌーメア市内でバスを乗り換え、1時間くらいかけて訪れたチバウ文化センターの門が無情にも閉まっているのを見たとき、全身の力が抜けた。

 さらに間の悪いことに、この日は日曜日でもあった。ヌーメアの市街に戻るも、店という店のほとんどが休み。何もすることがないのである。

FOLの丘からヌーメア市街の眺め
【FOLの丘からヌーメア市街の眺め】
閑散としたヌーメア市街
【閑散としたヌーメア市街】

 時間はまだ10時過ぎ。たっぷりと余っている。ここで思いついた窮余の策、ピンチヒッターはヌー島だった。ヌーメア市内から橋が架かり陸続きで市バスでも行けるヌー島は、フランス植民地時代の初期、流刑地として利用された名残の収容所跡などが残されているという。

 橙色の1番のバス。これはアンスバタとヌーメアを結ぶバスでもあり、私たちは逆方向のヌー島行きに乗りこんだのだが、運転手はてっきり間違えて乗ってきたアホな日本人だと思ったのだろう、「お前たち、どこへ行くんだ?」と聞いてきた。

「ヌービル(ヌー村)」

 自信を持ってそう答え、10分ほど揺られたところで、景色を見計らって下りる。昨日モンドールを訪れたときにも見かけた歴史的建造物を示す案内板があったからだ。

 崩れたレンガ造りの教会。廃墟のようでもあるが1800年代の年号を示す文字が刻まれていた。ちょっとした広場になっていて、教会の向かいにはフランス語学校の建物がある。さらに向こうは小さな埠頭になっていて、青々とした海に地元の子供たちが次々飛び込んで遊んでいた。

 海の向こうは、別の半島が見える。のんびりとした良い景色だ。

 道路を挟んで反対側には大学があり、そこに翻っている3本の旗を見て、私は驚いた。1つはフランス国旗、1つはEUの旗、そしてもう1つは他ならぬカナキーの旗だったからだ。大学にはある程度の自治権が認められているはず。だから、ヌーメアの政府系機関では決して見られないカナキーの旗を掲げているのだろうか。

カナキー国旗がはためく
【カナキー国旗がはためく】
ヌー島の集落にて
【ヌー島の集落にて】

 坂道を越えて、15分ほど歩いて、島の南側に下っていく道を行く。道の両側に民家が連なっている。うち1軒の軒先で、カナックの男女が立ち話で盛り上がっている。私たちの姿を見止め、話しかけてきた。

 中学生くらいの少年が、民家の前に立つ木から落ちてくる実を拾って、石で叩き割っていた。その中に入っている白い実を示して、「ピスタチオ」だと言ってくれたのだ。

 これに興味を示し喜んだのが、3歳の長男だった。もらったピスタチオ的木の実がおいしかったこともあるのだろう、少年の仕草をまねて、自分でも石を持ち、実を割ろうと試みていた。その一方で、おじさんやおばさんに話しかけられると、困ったように腰が逃げてしまうのだが。。

 一方私は、家の前に停まっていた車の周りでたむろしていた別の男に話しかけられた。てっきりこの家の住人かと思っていたのだが、違うらしい。少し英語が話せる彼は、「俺はリフーの出身なんだ」と言った。リフー島はニューカレドニアの離島の1つだ。そういえば木曜日にココティエ広場で開催されていたお祭りのテーマがリフー島だった。

 アンスバタのホテルに停まっていることや、明日の飛行機で日本に帰ること、子供の年齢や名前についてなど、たわいもない会話をしているうち、気が付くとなぜか私の手には地元銘柄ナンバーワンビールの缶が握られていた。彼と一緒に撮ろうとした写真に、長男も入れようとしたのだが、酔っ払いが嫌だったのか拒否されてしまった。

「君の母語は、フランス語とは別にあるのかい?」

 私が訊くと、彼はリフー語だと答えた。ヌーメアは?と尋ねるとヌーメアはフランス語だとの答えだった。離島では独自の言語が残っているが、ヌーメアでは消えてしまったということだろうか。

 1つだけ、リフーのことばを教わった。

「オレティ(ありがとう)」

リフー島出身の男性たちと
【リフー島出身の男性たちと】
アンスバタビーチにて
【アンスバタビーチにて】

8月15日
初めて見る日没と南十字星


 ヌー島から戻ってきた後、少しアンスバタの海で遊び、息子たっての希望でホテルのプールで遊び、そしてウアントロの丘を目指した。ウアントロの丘は、アンスバタビーチの端に立つ丘で、頂上からの海の眺めが素晴らしいところ。特に夕日が絶景ということで、日没を狙って歩き始めた。

 舗装道路を離れ、ハイキングコースへ。ただ歩いていけば、頂上に至るものと思っていたのだが、実はコースが何本もあって、案外に道がややこしい。私たちが歩いていた道は、なんだか徐々に山頂とおぼしき方角から、向かって右のほうにずれようとしていた。

 ウアントロの丘はビーチの端にあり、半島のような地形になっている。つまり、丘の向こう側も海になっていて、沖合いには小島が浮かんでいた。歩いている道が山頂につながっているのか不安になったが、景観は抜群。地元の人なのだろう、犬を連れての散歩や、ランニングを楽しんでいる人も多い。

 日没時刻が気になる親に対して、予想通り「疲れた」を連発し始める息子と、最初からほとんど歩く気のない娘。中腹の休憩場所で諦めようかとも思ったが、そこから山頂方面に、ハイキングコースがぐぐっと曲がって伸びているのが見えた。

ホテルのプールにて
【ホテルのプールにて】
ウアントロの丘、登山中
【ウアントロの丘、登山中】

 妻が娘を抱き、私が息子を肩車して、どうにか日が沈む前に山頂へ。実は車でも来られる場所のため、多くの人で賑わっている。ウアントロの丘は戦跡でもあって、砲台が並んでいる。大砲の前に陣取って、アンスバタビーチの向こうに日が沈むのを待った。

 もう何年か前になるが、けっこうな割合の小中学生が、日没を見たことが無いという調査結果の新聞記事を読んだことがある。都市に住んでいると、周りは家だらけビルだらけで、まともに夕日を見るという機会が無い。親がキャンプなどアウトドア好きでない場合は、まったく見たことが無いという子供が増えているという記事だった。

「お日さまが、もうすぐ海に沈むんだぞ」
「なんで?」
「お日さまも、海に沈んで、おやすみって、寝るんだ。で、明日になったら、またおはようって出てくるんだ」

 橙色の太陽が、水平線に触れて、少しずつ沈んでいく。赤く染まった空の色が少しずつ変わっていく。目に見えて、その色合いが変化し、沈んでいく太陽の動きが分かるのが、私は好きだ。自転車をこいでいたころは、飽きるほど毎日日没を眺めていたこともあったが、久しぶりに見ると、やっぱり良い。

「お日さま、沈んじゃったねえ」
 とりあえず息子には人生4年目にして、娘には2年目にして、日没を見せてやることができて、良かった。次の目標は、日の出だ。

 で、問題は下り道。普通、登山の鉄則は午後3時頃までには行動を終えること、日没まで歩いているなんて論外であるが、山頂で日没を見てからの下山、舗装路を歩いて帰ればよかったのだが、ハイキングコース、しかも遠回りだった上りとは別の道を選んでしまった。

 これが失敗で、分刻みで暗くなる山道、はじめのうちは同じように下山していく人たちがほかにも数グループいたのだが、2人の子連れである我々は置いていかれ、そして最後の出口が分からない! という事態に陥った。すぐ近くを車が走っている音が聞こえるのだが、あと数メートルを降りていく道がない、崖になっていて降りられない、のだ。

ウアントロの丘の頂上
【ウアントロの丘の頂上】

 そうこうしているうちに辺りはますます暗く、足元もおぼつかない。
「今夜は、このまま山で寝よっか」
 まだまだ冗談を言って子供をびびらす余裕はあったのだが、結局はやっぱりぐるっと回らないと舗装路には出ることができず、「日本人旅行者、子連れで遭難!」とニュースになる寸前(?)で、下山成功。

 アンスバタビーチに戻る道すがら、夜空に浮かぶ半月と、南十字星、ケンタウルス座の、それは明るかったこと。日没に続いて、満天の星空も見せることができて、結果オーライ?

先頭へ戻る
 
次へ進む