第70話
石の王国グレートジンバブエ〜黒人文明の誇り
グレートジンバブエ。かつてアフリカ中南部を制したモノモタパ王国の都。ブラワヨからバスを乗り継ぎ訪れたのだが、遺跡の園内に宿があり、安価で泊まることができた。
【ジンバブエ/グレートジンバブエ遺跡、王宮】
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ジンバブエ共和国
(Republic of Zimbabwe) |
【ジンバブエ/グレートジンバブエ遺跡、王宮】
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【ジンバブエ/グレートジンバブエ遺跡、王宮】
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ジンバブエというのはショナ語で「石の家」という意味だが、国名の由来となったグレートジンバブエは、名のとおり巨大な石造りの建築群だった。
緑豊かな丘陵地に、王宮跡や、円形の大城壁、居住区などの遺跡群が点在していた。標高千メートルの遺跡は、視界の効かない霞に包まれていた。王宮跡は、麓からさらに百メートルほど高い丘の上に位置し、石段を上っていくその道は、まるでガス雲の中を歩く登山のようだった。
円周約二百メートルの大城壁は、何かの競技場のような外観で、中に入ると内側にもまた城壁があり、入り子構造をしていた。狭い回廊を進んだ先に、高さ十メートルの円錐の塔が、雨に濡れながら立っていた。宗教的祭事に使われていたといわれる神秘の塔だ。十一世紀から十九世紀にかけて連綿と続いた王朝は、ジンバブエバードと呼ばれる想像上の鳥を介して魂の世界との意志疎通を果たすという、独自の宗教観を有していたのだ。
併設の博物館では、王朝の変遷、王たちの系譜、対外的な交戦や和平、交易の記録についても説明がなされていた。ザンベジ川を用いた海運はインド洋に通じ、キルワなどの港町ではアラブ人やインド人を主な担い手とする交易が栄え、海の貿易は遠く中国までつながっていた。その証拠として、遺跡からは明代の陶器も発見されていた。
グレートジンバブエ観光の二日間は、結局どちらも悪天候にたたられた。天気がよかったら、王宮跡からの眺めはさぞかし素晴らしかっただろうと思う。陽射しに照らされた大城壁はもっと見事だったろうと思う。
しかし、砂漠に広がるアラビアの遺跡に青空が似合うとしたら、森の中のジンバブエには霞が似合う。この霞の中で彼らの文明は育まれたのだ。一ジンバブエドル硬貨(闇レート換算で約四十七銭)に描かれたジンバブエバードを見つめながら、僕はしばし思索にふけった。
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【ジンバブエ/グレートジンバブエ遺跡、円形大城壁】
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【ジンバブエ/グレートジンバブエ遺跡、円形大城壁】
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【ジンバブエ/グレートジンバブエ遺跡、居住区跡】
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【ジンバブエ/グレートジンバブエ遺跡、居住区跡】
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かつてこの地を侵略したイギリスは、グレートジンバブエが黒人文明の遺産であることを認めようとしなかった。聖書に記述を残すソロモン王の都であると断定し、太古に白人が建てた伝説の町だと喧伝したのだという。
むろんグレートジンバブエは黒人自身の建設である。彼らは決してヨーロッパ人の到来によって初めて文明を受け入れたわけではなく、もともと立体的で深みのある歴史を歩んできていたのだ。
されど世界の評価は厳しい。
黒人たちが独自の文明を持っていたことは認める。しかし西洋文明に比べれば著しく劣っていたのではないか。そう思っている人はたくさんいる。アフリカは劣っていた。だからこそヨーロッパに分割され植民地となった。多くの黒人が奴隷となった。キリスト教が普及し、英語やフランス語が公用語になった。
(なぜか? なぜアフリカは負けたのか?)
もしモノモタパ王国が世界最強だったら、サハラ砂漠を越えて黒人勢力は地中海に達し、ショナ語やンデベレ語がヨーロッパの公用語とされ、十字架の代わりにジンバブエバードが教会の屋根を飾ることになっていたはずである。しかし、そんなことがありえたわけはないと僕らは思っている。
【ジンバブエ/グレートジンバブエ遺跡、王宮】
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【ジンバブエ/グレートジンバブエ遺跡、王宮】
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【ジンバブエ/ブラワヨ市街】
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【ジンバブエ/もう一つの世界遺産、カミ遺跡】
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「結局黒人はバカだからな」
そんな台詞で全てを片付けようとする者がいる。日本人旅行者の中にもいる。
僕には分からなかった。
(人類平等は理想論にすぎないのだろうか)
* * *
ブラワヨに戻る帰りのバス。屋根に穴でも空いているのか、ひどく雨漏りがした。
一つだけ言えることがあった。アメリカで長距離バスに乗ったとき、あるいはカリブの沿岸を走っていたとき、多く見かけた黒人たちのことを、僕は少し恐いと思っていた。黒人は貧しく無学で犯罪率が高い、そんな先入観があったからだった。
黒人大陸アフリカを旅するにつれ、僕のそんな気持ちはいつの間にか消失していた。ケニアでもザンビアでもジンバブエでも、周りにいるのは黒人ばかり。みな明るく親切で優しい人々だった。自転車に乗って走る僕に、「ラスタマン、どこへ行くんだ」と気軽に笑顔を振りまいてくれた。僕はかつて彼らに対して抱いていた意味のない警戒心を恥じた。
バスの中で、雨漏りのしずくに濡れながら、乗客は陽気だった。大声でお喋りしたり、持ち込んだお菓子を頬張ったり、窓の外の流れる風景を見つめていたりした。
僕も、その中の一員だった。
【ジンバブエ/もう一つの世界遺産、カミ遺跡】
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【ジンバブエ/カミ遺跡、ポルトガルが彫った十字架】
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【ジンバブエ/カミ遺跡に隣接の湖】
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【ジンバブエ/ブラワヨ市街】
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【ジンバブエ/ブラワヨの宿】
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【ジンバブエ/次の国ボツワナへ】
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<出発から15477キロ(40000キロまで、あと24523キロ)>
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