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自転車世界一周の旅/第71話 乾いた小国ボツワナ、南回帰線を越えて


 ジンバブエからボツワナへ。僕の旅はまた新しい国へ突入した。国土の大半をカラハリ砂漠に覆われたボツワナは、世界でも有数の人口密度の少ない国で、のどかな田舎の風景が続いた。

 ジンバブエ共和国
(Republic of Zimbabwe)
 ボツワナ共和国
(Republic of Botswana)

ボツワナ/ボツワナ入国
【ボツワナ/ボツワナ入国】

 そのわりに多いのが検問だった。身分証や荷物の確認だけでなく、特徴的なのは、消毒検査があることだった。消毒液を浸した浅い池が用意され、車両はその上を通過しなくてはいけなかった。歩行者用の池もあり、ザックの中に入れていたサンダルまで、取り出して消毒することを要求された。自転車は両輪をつけろと言われ、タイヤが真っ白になった。

 白くなるだけならいいのだが、困ったのはタイヤが破れており、パンクを連発したことだった。磨り減っていることを承知で、まだ大丈夫だろうと無理をしすぎたようだ。ガムテープを裏からあてがうという荒療治を施し、途中でバーストしないことを祈りつつ走る羽目になった。

ボツワナ/街道の消毒検問
【ボツワナ/街道の消毒検問】

ボツワナ/ツェセベという町にて
【ボツワナ/ツェセベという町にて】

 フランシスタウンという町に着き、まず銀行を訪れてボツワナの通貨プーラを入手、次に自転車屋を探し、タイヤを調達した。フランシスタウンはこの国第二の都市といわれていたが、長さ二キロほどの通りにショッピングモールが並んでいるだけの、ごく小さな町だった。

ボツワナ/フランシスタウン
【ボツワナ/フランシスタウン】

ボツワナ/首都ハボロネへ
【ボツワナ/首都ハボロネへ】

 ボツワナも宿のない国だったが、泊まる場所には不思議と苦労しなかった。国境を越えてすぐの村では、通りかかった近所の男性に声をかけられ、家に泊めてくれることになったし、翌日のマコモトという村では、一軒の売店の軒先にテントを張らせてもらえることになった。

 やたら笑い声のけたたましい陽気な姉と、「学校を出たらカンフーを習いにアジアの国に行きたいんだ」と話す弟がやっている店。集まってくるおやじたちは、みな缶ビールを買って、酔っ払いながら盛んに僕に話しかけてきた。

ボツワナ/マコモトという村の姉弟
【ボツワナ/マコモトという村の姉弟】

ボツワナ/ボツワナ東部の道
【ボツワナ/ボツワナ東部の道】

「スポンサーはいるのか?」  最近よく訊かれるこの問いが、僕は苦手だった。「バイ・マイ・セルフ」と答えるとみな一様に驚くが、それは一人で計画している実行力を誉めているのではなく、それだけお金が続くのが信じられないという反応だった。

 一方で、「部族は何だ?」と訊かれることも多かった。「日本から来た」と答えたあとに、「で、出身部族は?」と追加で問われるのだ。

ボツワナ/ボツワナ東部の道
【ボツワナ/ボツワナ東部の道】

 思い返してみると、ケニアやタンザニアの宿帳にはたいてい、部族名を記入する欄があった。僕は国籍の欄も部族の欄も、どちらも「JAPAN」と記入していたが、彼らの感覚では、国籍は同じでも、部族はツワナだったりサン(ブッシュマン)だったりと様々なのだ。しかも、実際は民族の大移動やいくつもの王国の興亡があって、もっと複雑に入り混じっている感がある。東アフリカにはアラブの影響を受けたスワヒリという混血文化があり、南では白人の植民の結果、カラードと呼ばれる混血の子孫たちが少なくなかった。

 いや、そう考えると日本だって、朝鮮半島から渡ってきた人々、北方に住んでいたアイヌの人々、南から琉球を経てやって来た人々など、色々な血が混ざり合った混血国家であるといえるのかもしれない。ツワナ族の彼らと話しながら、僕は自分の祖先に思いを巡らせた。

ボツワナ/南回帰線
【ボツワナ/南回帰線】

 天候は良好、道路は平坦で、信号は滅多になく、気楽で単調な道のりが続いた。南回帰線を越えると、ようやく熱帯とはおさらばである。放射冷却のお陰か、明け方はけっこう寒くなる日も多かった。

ボツワナ/アルテシアという村
【ボツワナ/アルテシアという村】

*   *   *

 やがてハボロネに着いた。町のはずれにキャンプ場があり、僕はそこに泊まった。安宿がないから、キャンプ場が最も安価で、かつ安全が保証された寝床だった。

ボツワナ/ハボロネの大通り
【ボツワナ/ハボロネの大通り】

ボツワナ/ハボロネのキャンプ場
【ボツワナ/ハボロネのキャンプ場】

 ハボロネは首都とはいえ、人口わずか十三万人あまりの小都会。中心街は日本で喩えるなら、さしずめニュータウンの駅前といった雰囲気だった。駐車場が周囲にあり、商店街は歩行者天国で、銀行、郵便局、二軒のスーパーがあり、本屋、薬屋、ファーストフード、さらには民芸品や携帯電話を並べた露店が続いていた。

 昼時になると、あちこちに弁当を売る屋台が立った。お米のご飯、もしくはマベレと呼ばれるウガリを選択すると、シチューをかけて持ち帰り用の白い容器に入れてくれる。近くの店舗や官庁から勤め人が買いに来る様子は、日本でもありがちな光景だった。

ボツワナ/ハボロネ中心部
【ボツワナ/ハボロネ中心部】

ボツワナ/ハボロネ中心部
【ボツワナ/ハボロネ中心部】

 ザンビアからジンバブエ、ボツワナと、国境を越えて南下してくるに従い、見かける白人の割合が高くなってきた。道路工事の働き手にも白人の作業員が混じっていたし、走っている車もきれいなものが多く、町並みもどこかヨーロッパ的だ。

 まだアフリカでありながら、だんだんアフリカでなくなっていく。そんな印象があった。

ボツワナ/南アフリカへ
【ボツワナ/南アフリカへ】

ボツワナ/南アからのチャリダーと遭遇
【ボツワナ/南アからのチャリダーと遭遇】

ボツワナ地図

出発から16138キロ(40000キロまで、あと23862キロ)

できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 空路アラスカへ
08 05 メキシコ トゥーラ手前
5000
09 04 グアテマラ 強盗事件発生 自転車を失う
6940
10 04 イタリア パナマから大西洋を越え、飛行機にて入国(ローマ)
11 11 トルコ イスタンブール手前
10000
2002 01 01 イラク バグダッドにて年越し
20 エジプト 船にて入国(ヌエバ)
03 11 エチオピア ヤベロ~ドブロワ間
13000
13 ケニア 自転車にて入国(モヤレ)
15 赤道通過
24 タンザニア 自転車にて入国(ナマンガ)
28 サーメ~モンボ間
14000
04 03 ザンビア 鉄道にて入国(ルサカ)
09 ジンバブエ 自転車にて入国(ビクトリアフォールズ)
10 ビクトリアフォールズ先
15000
18 ボツワナ 自転車にて入国(フランシスタウン)
21 ディノクエ~ディベテ間
16000

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