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自転車世界一周の旅/第118話 涅槃の地クシーナガル~極寒地獄の夜


 モティハリという国道沿いの中都市で、僕は一人の若者に出会った。ナジルと名乗った学生の彼は、自分の家に泊まれと招待してくれた。

 ナジルの家はムスリムだった。壁にはメッカの写真が掲げられていた。とはいえ食事はカレーであり、お母さんの恰好も髪を露出したサリー姿だった。ナジルは日本に興味があるのだと言い、英語で書かれた『JAPAN』という本を持っていた。

インド/大学、かつてイギリスの役所でガンジーが収監されていた
【インド/大学、かつてイギリスの役所でガンジーが収監されていた】

 町を歩いていると、ナジルの友人が現れた。英語教師だと名乗る彼は、やたら陽気にまくしたてた。

「僕はヒンドゥ教徒なんだけどね、実はムスリムが大ッ嫌いなんだ」

 ナジルは笑って聞いていた。人口十億のインドにおいて、イスラム教徒は一億人いる。インド・パキスタン分離の例を挙げるまでもなく、イスラム教徒とヒンドゥ教徒は不仲であり、住んでいるところもバラバラであると思っていたのだが、実はそうでもないようだと知った。

インド/クシーナガルの涅槃像
【インド/クシーナガルの涅槃像】

インド/クシーナガル、ミャンマー寺
【インド/クシーナガル、ミャンマー寺】

 ナジルの家に泊めさせてもらったまま、僕はバスでクシーナガルを訪れた。クシーナガルは入滅の地、仏教四大聖地の一つであり、ブッダが齢八十にしてその最期を迎えた場所である。

 クシーナガルもまた閑散とした田舎の村だった。なんてことのない冴えない風景の中、金ぴかなミャンマー寺や、赤や緑に飾られた中国寺が並んでいた。

 小規模なレンガ遺跡のただ中に、小さな涅槃堂が佇んでいた。この場所でブッダは、二本の沙羅双樹の幹の間に身体を横たえ、大勢の弟子や動物たちに見送られ、二度と立ち上がることはなかったのだ。付近にはブッダが荼毘に付されたといわれる塚の跡が残されていた。

インド/クシーナガル、涅槃堂
【インド/クシーナガル、涅槃堂】

インド/クシーナガル、ブッダを荼毘に付した塚
【インド/クシーナガル、ブッダを荼毘に付した塚】

 クシーナガル巡礼は順調に終わったが、問題はその帰り道だった。帰りのバスは接続が悪く、その上、途中で停まってしまったのだ。道沿いに停車したまま、まったく動かなくなってしまった。道路は渋滞していた。

 英語を話せる男を見つけ、僕は訊いた。

「この先の村で事件があった。銃の事件だ。警察が道路を封鎖している」

 僕は唖然とした。しかも男は、明日までバスは出ないと言った。

 僕は男から携帯電話を借り、ひとまずナジルに連絡をとろうと思ったが、電話はつながらなかった。困ったことに僕は防寒具を持っていなかった。周りの乗客はみな荷物から毛布など取り出して身にまとっていたが、僕は薄手のパーカーを羽織っているだけだった。もちろんインドのオンボロバスに暖房はなく、すきま風は吹き込み放題で寒かった。

 夜の十一時半になって、バスは突如動き出した。しかし、僕にとってこれは幸運の助けにはならなかった。バスがモティハリのターミナルに到着したのは午前一時半、今さらナジルの家に帰れる時間ではなく、かといって宿も開いてはいない。そして最悪なことに、バスターミルとは名ばかりで、そこには何もなかった。

 屋外の茶店が一軒木炭を燃やしてお湯を沸かしているだけ。地獄の寒さだった。同じように夜を越そうとする男たちが、炭焼きの火の回りに集まっていた。僕もまた彼らと一緒になり、炭火に手をかざし、足をかざした。夜風に震えながら何度も腕の時計を見た。二ルピーのチャイを何杯も飲んだ。

インド/極寒のモティハリ・バスターミナル
【インド/極寒のモティハリ・バスターミナル】

 少し離れたところでは、別の男たちが焚き火をしていた。サイクルリキシャがそばに並んでいた。リキシャをこいで生計をたてるリキシャワーラーたちだった。始発のバスがやってきて乗客が得られる朝まで、こうして待っているのだろうか。彼らは廃タイヤを燃やして暖をとっていた。

 午前六時、やっと空が白んできた。朝霧が深く、太陽はまだ現れない。僕は何度もくしゃみをした。僕は結局ナジルの家にもう一泊させてもらうことにした。

*   *   *

インド/モティハリの家族、近所の子
【インド/モティハリの家族、近所の子】

 そしてモティハリを発った。ナジルと彼の友人は、国道に出るところまで自転車で僕を送ってくれた。

「また会おう」

 僕たちはそう別れの言葉を交わした。長い長いこの旅、正直なところ僕は、だんだん出会いにも鈍感になり、家に招かれることにも慣れっこになってしまっていた。

 それはよくないことだと分かりつつも、再会はないだろう、再訪することもないだろう、心のどこかで冷静にそう見切ってしまう醒めた気持ちがあった。相手が電子メールを持っていればともかく、そうでないことのほうがずっと多く、連絡をとり続けることすら困難だった。

 でも、他に僕はどうすればいいのだろう。彼らにありがとうと言い、一緒に撮った写真を次の町で現像して送り、日本に帰ったら必ず手紙を書こうと誓い、それ以上に何をすればいいのだろう。ナジルのお母さんが作ってくれた魚カレーが美味しかったなと思いながら、その日の午後、僕はまた新しい国ネパールに入った。

 インド
(India)
 ネパール王国
(Kingdom of Nepal)

インド→ネパール/国境を越えて
【インド→ネパール/国境を越えて】

インド→ネパール/国境を越えて
【インド→ネパール/国境を越えて】

出発から27349キロ(40000キロまで、あと12651キロ)

できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 空路アラスカへ
08 05 メキシコ トゥーラ手前
5000
11 11 トルコ イスタンブール手前
10000
2002 04 10 ジンバブエ ビクトリアフォールズ先
15000
05 26 トルコ 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国
07 20 アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発
08 10 イラン マクー~マルカンラル間
20000
09 17 パキスタン クイ・タフタン先
23000
27 デラ・アラー・ヤル付近
24000
10 19 ワガ国境
25000
19 インド 自転車にて入国(アムリトサル)
25 デリー到着
11 03 プシュカル先
26000
09 ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される
12 03 スリランカ 飛行機にて入国(コロンボ)
19 インド 飛行機にて再入国(チェンナイ)
2003 01 01 バラナシにて年越し
04 ブッダガヤに到着
16 ナーランダ付近
27000
21 ネパール 自転車にて入国(ビールガンジ)

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