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W杯欧州最終予選
日の丸掲げて応援、翌朝の新聞に!
昔も今も文明の十字路、
世界中から旅人たちが集う賑やかな町、
それがイスタンブール。
日本人宿コンヤペンションに滞在。
サッカー好きな旅仲間に誘われて、
欧州予選プレーオフを見に行った。
開催国日本からの応援であることを示そうと
大きな日の丸を特注し、
スタンドで広げてトルコ代表に声援を送る。
見事五対〇で圧勝したトルコはW杯出場を決め、
日の丸とともに僕らの写真が紙面を飾った。
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薄く雪化粧のカッパドキア
総勢十二名の団体旅行
迷っていた旅の進路だが、
南を、アラブ中東を目指すことを決めた。
トルコ中央部の奇岩地帯カッパドキア。
イスタンブールで出会った旅仲間たちと
十二名で車を借り切って巡る。
楽しいサークル合宿のようなひとときだった
トルコ南部の港町アンタルヤ。
そしてシリア国境にほど近いアンタクヤ。
しばらくバスによる移動が続いたが、
三週間ぶりに独りになって、
自転車にまたがる日々が戻ってきた。
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シリア・アラブ共和国
(Syrian Arab Republic) |
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| 人口 |
1800万人 |
面積 |
18.5万km2 |
| 首都 |
ダマスカス |
宗教 |
イスラム教(スンニー派) |
| 言語 |
アラビア語 |
通貨 |
シリアポンド |
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| 旅行期間 |
2001年12月3日〜12日14日/12月20日〜25日(18日間) |
| 訪問経路 |
(トルコ)→アレッポ→ハマ→ダマスカス〜(レバノン) |
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イスラム断食月
シリア田舎町に泊めてもらう
イスタンブールを出た頃から、
イスラム世界では断食月ラマダーンが始まる。
日が昇ってから日が沈むまで、
一切の食物を口にしてはいけない。
旅人には課せられないとはいえ、
自転車旅行にはちとつらい日々。
そんなシリア中部の町マアッラーナマンで、
一人の好青年バシルに出会う。
片言の英語を話す彼に誘われ、
そのまま三日間を彼の家で過ごす。
共にモスクで礼拝したり、
宗教論議に夜を明かしたこともあった。
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首都ダマスカス
第四聖地ウマイヤドモスク
紀元前後からの長い歴史を誇るシリア。
首都ダマスカスの旧市街には城壁が巡り、
旧約聖書の時代から続く古い路地があり、
迷路のように入り組んだ市場、
その奥に静寂に包まれた大きなモスク。
人々が熱心に祈りを捧げていた。
イスラム世界の英雄サラディンも眠る。
ダマスカスの宿に自転車を預けて、
隣国レバノンへ向かった。
長く続いた内戦で破壊されたベイルートは、
旧市街に痛々しさを残しつつも、
高層ビルが立ち並び復興を遂げていた。
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レバノン共和国
(Republic of Lebanon) |
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| 人口 |
400.5万人 |
面積 |
1万0452km2 |
| 首都 |
ベイルート |
宗教 |
イスラム教、キリスト教 |
| 言語 |
アラビア語 |
通貨 |
レバノンポンド |
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| 旅行期間 |
2001年12月14日〜2001年12月20日(7日間) |
| 訪問経路 |
(シリア)〜ベイルート/バールベック〜(シリア) |
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ヨルダン・ハシミテ王国
(Hashemite Kingdom of Jordan) |
→ ヨルダン旅行情報
も御覧ください!
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| 旅行期間 |
2001年12月25日〜2001年12月30日(6日間) |
| 訪問経路 |
(シリア)→アンマン〜(イラク) |
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年末ヨルダンへ
世界最低地点、死海に浮かぶ
再びシリアへ戻り、
自転車でヨルダンに入国する。
盆地地形の首都アンマン。
世界最低所の死海は日帰り圏内で、
旅の記念に浮かんでくる。
本当に浮いた。本も読めた。塩辛かった。
アンマンから東へ向かえば、そう、
砂漠の街道はバグダッドへ通じている。
アンマンの中心部には
安くて美味しいイラク料理店もあった。
イスタンブールやベイルート以来の
旅の仲間がここに集結した。 |
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イラク共和国
(Republic of Iraq) |
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| 人口 |
2200万人 |
面積 |
43.7万km2 |
| 首都 |
バグダッド |
宗教 |
イスラム教 |
| 言語 |
アラビア語 |
通貨 |
イラクディナール |
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| 旅行期間 |
2001年12月30日〜2002年1月7日(9日間) |
| 訪問経路 |
(ヨルダン)〜バグダッド〜ケルバラ〜モスル〜バグダッド〜(ヨルダン)
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九名参加のツアーにて、イラク入国
フセイン政権下の首都
いざイラクへ。
アンマン発着のパッケージツアーに参加。
一週間五百ドル。
宿、食事、観光、査証、車、案内役、全部込み。
アンマンからバグダッドまでは
車で丸一日の道のりで、到着はすでに夜。
地平線の彼方に眩しい町の明かり。
かつてイスラム世界の中心地として、
アラビアンナイトの舞台として、
世界で最も進んだ数学や化学を確立した町。
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悠久の歴史誇るバグダッド
明るい笑顔の学生たち
意外と穏やかな雰囲気だった2001年の
バグダッド!
街角のいたるところには、
独裁者サダム・フセインの肖像画。
しかし市場には物が溢れ、
人々の表情には明るい笑顔が溢れていた。
メソポタミア時代からの
宝物を集めた国立博物館を訪れ、
アッバース朝時代の王宮や大学を見学し、
悠久のチグリス川の流れに思いを馳せた。
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さようなら2001年
年越しそば、イラクゆく年くる年
2001年から2002年へ。
バグダッドで迎える新年。
元旦はミニバスに揺られ、イラク南部へ。
世界の七不思議バビロンでは、
残念ながら空中庭園は存在せず、
シーア派の聖地ケルバラとナジャフでは、
壮麗なモスクと真摯な人々の祈りに圧倒され、
世界最古、四千年の歴史を誇るウル遺跡では、
我が日本の歴史の短さに愕然とした。
実はイラク、観光資源も豊富だと知った。
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湾岸戦争の傷跡、千羽鶴に驚く
多国籍軍誤爆、女子供四百人眠る
後半はイラク北部の旅。
ローマ時代の遺跡ハトラ、
クルド人も多く暮らすモスルの町。
そしてバグダッドへ帰ってくる。
最後の滞在日は現代史観光。
対イラン戦の戦勝記念碑や
フセインの誕生日に落成したというモスクなど
多分にフセイン政権の喧伝であると
じゅうぶん理解はしても、
湾岸戦争時代の避難シェルターは衝撃的。
多国籍軍の二発のミサイルが、
一瞬にして逃げ込んでいた女性子供の
およそ四百の命を奪い去ったのだという。
2002年のイラクの話。
あれから二年後、
更なる悲劇があろうとは、誰も予想しない。
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イスラエル共和国
(State of Israel) |
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| 人口 |
663万人 |
面積 |
2万1946km2 |
| 首都 |
エルサレム |
宗教 |
ユダヤ教(76.8%)、イスラム教 |
| 言語 |
ヘブライ語、アラビア語 |
通貨 |
シュケル |
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| 旅行期間 |
2002年1月8日〜2002年1月13日(6日間) |
| 訪問経路 |
(ヨルダン)〜エルサレム/ベツレヘム/ガザ〜(ヨルダン) |
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聖地エルサレム
ユダヤの新市街、アラブの旧市街
イラクからヨルダンに戻ったその足で、
イスラエルに入国する。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
三つの宗教が共に聖地と崇める町。
エルサレムはさすがだと思った。
奇しくも雪混じりの天候、
ここまで風格のある都市は、ほかにない。
キリストの生誕地ベツレヘムは
パレスチナ自治区に含まれており、
訪れるには検問を越えなければならず、
生誕教会は閑散としていた。
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ヨルダン・ハシミテ王国
(Hashemite Kingdom of Jordan) |
→ ヨルダン旅行情報
も御覧ください!
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| 人口 |
548万人 |
面積 |
9.8万km2 |
| 首都 |
アンマン |
宗教 |
イスラム教(スンニー派) |
| 言語 |
アラビア語 |
通貨 |
ヨルダンディナール |
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| 旅行期間 |
2002年1月13日〜2002年1月19日(7日間) |
| 訪問経路 |
(イスラエル)〜アンマン→ワディ・ムーサ→アカバ〜(エジプト) |
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東西交易の栄華偲ぶ
巨大遺跡ペトラ
三たびアンマンから、
また自転車の旅が始まる。
挑むはキングスハイウェイと呼ばれる
千メートル登って下る難所道。
その先に待ち受けていたのは、
重厚な歴史を誇る中東でも
最大級の旅行者人気を誇るペトラ。
赤色の岩盤に築かれた壮大な遺跡群。
真っ青な空に、乾いた空気に、
二千年前に交易で栄えたという古代都市。
自転車の疲れが癒されるひととき。
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月の砂漠ワディ・ラム
紅海を渡り、次はアフリカ
キングスハイウェイから一気の下り。
涼しかった高地から、
一月なのに暑さを感じる低地の砂漠。
少し寄り道して
月の砂漠と形容されるワディ・ラムを訪れた。
紅海に面した港町アカバは程近い。
海を挟んで対岸はエジプトのヌエバ。
船に揺られて数時間の距離だ。
いよいよアフリカなのだと思うと、
なんだか嬉しかった。
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