表紙へ戻る
  第50話 キングスハイウェイ



第51話  カイロ〜日本人宿サファリホテル



オーマイニュース連載版はこちら

 港町ヌエバに上陸した僕は、シナイ半島を横断し、エジプトの首都カイロを目指した。ひたすら岩山ばかりが続く単調な道のりで、ときおりオアシスの集落があった。ナツメヤシが生い茂り、ベドゥインがラクダやロバを放牧していた。

 本当は四日かかる距離だったが、トラックに逆ヒッチハイクされた僕は、スエズ運河を越え、二日でカイロに着いた。

シナイ半島
【エジプト/シナイ半島】
 ヨルダン・ハシミテ王国
(Hashemite Kingdom of Jordan)
 エジプト・アラブ共和国
(Arab Republic of Egypt)

シナイ半島
【エジプト/シナイ半島】
スエズ運河
【エジプト/スエズ運河】

 そのカイロで、僕はまた懐かしい面々に再会した。雑居ビルの六階、日本人宿のサファリホテルにて、イラクツアー仲間のターザンやハヤシくんが、僕を待っていた。

 トルコから中東を通ってエジプトに至る経路は、バックパッカーの黄金ルート。さらにアフリカの奥へと南下していく人も多い。カイロはそういった旅行者の集まる一大拠点となっていた。

「スーダン行きの船は週一便なんですよ。一緒の便で行きませんか」

 ハヤシくんが当然のように僕を誘った。

 サファリのオーナーはシリア人だったが、実際に宿の中を取り仕切っているのは、日本人長期旅行者たちによる生活向上委員会なる一種の自治組織だった。

 マルヤマさんという男。彼はなんと、かれこれ三年もサファリホテルに沈没を続けており、自ら委員長を名乗っていた。頭頂部を剃り長髪を無精に伸ばしたその髪型は、落ち武者スタイルとして、日本人旅行者の間で有名だった。そのマルヤマ委員長を中心とし、情報ノートの管理や台所設備の整備、ホテルオーナーとの交渉事などがなされていた。

 圧巻は、宿泊者のほぼ全員が参加する夕食風景。さして広いとはいえないロビーに大鍋が並び、十五人からときに二十人以上がひしめいた。その人数を前にして、司会を務めるのは、もちろんマルヤマ委員長だった。

「本日はNHKカイロ支局の方からバーモンドカレーの差し入れをいただきました!」

 拍手喝采が巻き起こる。

 サファリホテルの存在は地元の日本人社会にも知られており、この場で日本大使館からの危険度情報が伝えられることもあった。

スエズ市街
【エジプト/スエズ市街】
カイロに到着
【エジプト/カイロに到着】

カイロ新市街
【エジプト/カイロ新市街】
カイロ、イスラム地区
【エジプト/カイロ、イスラム地区】

 僕らが食事をとり始めた前で、マルヤマさんの独り舞台は続く。

「一はワハドゥ、二はトゥネイン、三はタラーテ……」

 数字や挨拶から、ケンカの際の悪口まで、解説付きの使えるアラビア語講座である。

「それでも我慢できないときは、英語でいえばファックユー、日本語ならお前の母ちゃん出ベソ、アラビア語ではクソマック!」

 毎日同じことを言うので、だんだんまねてそらんじられるようになった。

 そして極めつけ、長髪を振り乱しながら、自作の歌『恋のスパイダー』の熱唱。しかも、長期沈没者たちの手拍子が混じる。

「これはさすがに引きますよね」

 ハヤシくんがこっそり笑いながら言った。この雰囲気に馴染めず、他の宿を選ぶ人もいるという。

ナイル川
【エジプト/カイロ市街を流れる世界最長のナイル川】

 夕食が終わると、トランプによるくじ引きが待っていた。

「作るのを手伝ってくれた人、材料の買い出しに行ってくれた人、その他なんらかの仕事をした人、病気の人、今夜出発の人。それ以外の人、さあ手を挙げよう!」

 マルヤマさんが揚々と叫ぶ。

 手を挙げた人にトランプが配られ、その札に従って、洗い物や掃除、さらには情報ノートの執筆という作業が割り振られた。

「情報は与えてもらうだけではいけない。旅をしてきたのであれば、なんらかの情報は必ず持っているはずであり、それを書いて下さい」

 それがマルヤマさんの哲学であり、サファリの考え方になっていた。

 とある晩、サファリホテルの宿泊者大勢で出かけたスーフィーダンスは面白かった。スーフィーとは、イスラム教神秘主義ともいわれる特殊な一派。大きなスカート衣装を身に付けた男性の踊り手が、ひたすらくるくると回るだけなのだが、その行為によって神に近づけると考える不思議な踊りだった。

 僕はそんなサファリホテルで、『旅行人ノート』のアフリカ編を手に入れた。また、英文ガイドブック『ロンリープラネット』のアフリカ編も、格安で入手することができた。

「あれ、アフリカ行くことにしたんだ」

 遅れてカイロにやって来たユーシさんが、にこにこと言った。

「ええ。まだ寒いんで、とりあえずナイロビまで」

 僕は答えた。

 スーダンビザを取得するには、日本大使館の添え状が必要で、「不安定な情勢を認識されていますね」と念を押され、今後の旅程と、危険地帯には行きませんという旨の覚書を書かなくてはいけなかった。エチオピアビザはさらに面倒で、出入国を証明する航空券の所持が条件。そのため一度航空券を購入し、あとで払い戻すという手順を踏んだ。

 いずれのやり方もサファリホテルで仕入れることができた。

サファリホテル夕食風景
【エジプト/サファリホテル夕食風景】
スーフィーダンス
【エジプト/スーフィーダンス】

<出発から11380キロ(40000キロまで、あと28620キロ)>


できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 日本から空路アラスカへ

0

08 05 メキシコ トゥーラ手前

5000

09 04 グアテマラ 強盗事件発生 自転車を失う

6940

10 04 イタリア パナマから大西洋を越える 翌日二台目の自転車を購入
20 ギリシア アテネ市内

8000

11 11 トルコ イスタンブール手前

10000

14 W杯サッカー欧州予選を観戦 翌日新聞に載る
12 03 シリア 自転車にて入国(アレッポ)
14 レバノン バスにて入国(ベイルート)
25 ヨルダン 自転車にて入国(アンマン)
30 イラク ツアーにて入国(バグダッド)
2002 01 01 バグダッドにて年越し
08 イスラエル バスにて入国(エルサレム)
13 ヨルダン バスにて再々入国(アンマン)
18 ペトラ先ラジフ

11000

20 エジプト 船にて入国(ヌエバ)


先頭へ戻る
 
第52話 ルクソール