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炎天下、61年前の夏を思う  市民記者が見た「靖国参拝」



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 朝からの雨が、昼過ぎにはあがっていた。15日午後2時、陽射しは強く、蒸し暑い。

 九段下の駅を降りて、靖国通りへの坂道を上る。すでに大勢の人の流れができている。何がしかのビラを配っている団体がいる。東京理科大の校舎を右手に、第一の鳥居を前にした交差点は、信号待ちの群衆で埋まっていた。

 鳥居の手前には、靖国神社を中傷する目的の人は立入禁止であるとの注意書きがある。一方で、中国や韓国に対する非難の声をあげる人々が垂れ幕を掲げていた。

 都心とは思えないほどの鬱蒼とした緑が茂る境内。しかし参道は広く、日陰がない。ただ歩いているだけで、汗が滴り落ちる。大村益次郎の像を過ぎ、ポスト純ちゃんまんじゅうを売っている売店の横を通り過ぎると、車道の向こうに第二鳥居が見えてくる。拝殿はまだ遠いが、この場所から人の動きは止まり、渋滞が始まっていた。 一歩歩いて、二歩止まる。

 さながら真夏の初詣である。冬は寒いから、人混みの熱気が嬉しいが、この季節はつらい。きっと、61年前も、こんな暑い夏だったのだろうと、そんなことを思う。

 年輩の人が多いのかといえば、決してそうではない。20代や30代とおぼしき若者の姿も多い。これも一つの小泉効果だろうか。今朝早く首相が参拝したことを、たぶん誰もが知っている。首相の参拝を歓迎する大きな垂れ幕を広げている人たちもいる。

 西洋人の姿もちらほらと見受けられた。日の丸を振って気勢をあげる軍服姿の集団にカメラを向けていたのは、あるいは観光気分だったのかもしれない。

 印象的だったのは韓国人旅行者の姿だった。手にハングルの地図を持っていたので、それと分かったのだが、水場の脇の木陰で涼んでいた。

 私はじんときた。

 日本では靖国神社を巡る報道は賛否両論がある。一方で韓国では、100パーセント否定であろう。その上で彼らは、自分の目で見てみたいと思い、足を運んで来たのだろう。

 彼らが何を思ったのか、それは分からない。やっぱり靖国はけしからんと思ったかもしれないし、あるいは決して右翼だけではない大勢の一般市民が真摯に手を合わせている姿を見て、少なからず複雑な思いをしたかもしれない。

 なんにせよ、自分の目で判断しようと思った彼らの精神に、私は敬意を表したい。

*   *   *

靖国神社
【真夏の日差しが降り注ぐ中、靖国神社を訪れた参拝者ら(8月15日午後2時すぎ、東京・九段北の靖国神社)】

 私が靖国を訪れたのは二度目だが、あれこれ意見を言う前に、やはり自分の足を運びたいと思った。

 30分ほど並んだだろうか。ようやく私は拝殿の前に立つことができた。財布の中から小銭を取り出し、放る。二礼し、二拍手し、私は日本のために何ができるのだろうかと祈り、また一礼し、その場を去った。

 蝉がミーン、ミーンと鳴いていた。

 人類の歴史は戦争の繰り返しであり、その幾多の犠牲の上に現在がある。

 私が靖国に参ったのは、ひとえに私が日本人だからである。

 中国や韓国の人たちが靖国参拝に反対するのは、私は彼らの意見として正しいと思う。国や民族が違えば、意見が違う、歴史に対する評価が違う、これは当たり前のことだ。

 靖国賛成というと、何かと戦争肯定論者だと言われる風潮があるが、これはおかしい。嫌中嫌韓と結びついた捉え方をされることもあるが、これも本質ではない。中国や韓国の人には声を大にして言いたいが、昨日靖国神社を参拝した25万の市民のうち、嫌中嫌韓などと騒いでいるのはごく一部に過ぎない。私を含む大多数は、平和を祈念するために、炎天下の中お参りをしたのだ。

 相手の意見を知らず、批判する人が多すぎる。対立を煽る一部マスコミがある。対立を利用しようとする政治家もいる。

 歴史認識の違いを認め、乗り越え、友好関係を築いていきたい。
(2006年8月28日掲載)

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