★ふねしゅーの【旅】を極めるサイト★

タイトルロゴ



第10章 世界の頂きを目指して/2003年3~6月 あらすじ

 パキスタン・イスラム共和国
(Islamic Republic of Pakistan)
人口 1億4872万人 面積 79.6万km2
首都 イスラマバード 宗教 イスラム教(スンニー派)
言語 ウルドゥ語 通貨 パキスタンルピー
旅行期間 2003年3月12日~2003年3月24日(13日間)
訪問経路 (インド)→ラホール~ラワールピンディ/イスラマバード~ペシャワール~(アフガニスタン)

旅は遥かに続く 印パ国境五ヶ月ぶりの通過

写真

昨年十月以来、パキスタンに帰ってきた。
目指すは中国だが、
その前にちょっと寄り道、
アフガニスタンへ行こうと企んだ。
ビザはデリーで取得済、
ラホールで旅行者情報を仕入れ、
イスラマバードでパキスタンビザの手続き、
そして国境に近いペシャワールへ。
民族服シャルワールカミースを購入し、
国境地帯部族地区の入域許可証を取得した。

 アフガニスタン
(Afghanistan)
人口 2510万人 面積 65万2225km2
首都 カブール 宗教 イスラム教
言語 ダリー語、パシュトゥー語 通貨 アフガニー
旅行期間 2003年3月24日~2003年4月7日(15日間)
訪問経路 (パキスタン)~ジャララバード~カブール~バーミヤン
 ~マザルシャリフ~カンダハル~ガズニ~カブール~(パキスタン)

かつて旅人の聖地と謳われた町 アフガニスタンの首都カブール

写真

やって来たアフガニスタン。
二十年来の内戦で破壊し尽くされた国。
アメリカの攻撃で
タリバーン政権が崩壊したのが、
ついこの間の出来事である。
褐色の首都カブール。
平和な七十年代当時は、
カトマンドゥと並ぶヒッピーの聖地。
その面影はほとんどなく、
しかし小高い丘に登ると、
遠くに美しい白い山並みが見えた。

がらんどうの穴、地雷の原 三蔵法師も訪れた町バーミヤン

写真

交通網も寸断されたアフガンの道。
お古のハイエースに乗客と荷物を詰め込んで、
カブールを出てまもなく舗装路は終わり、
凸凹の悪路を延々走る。
山の景色は素晴らしく、杏の花が咲き乱れ、
素朴な村々の雰囲気が心にしみる。
男たちはみな、銃を背負い、談笑していた。
かつて仏教王国が栄えたバーミヤン峡谷。
タリバーンが破壊した大仏跡。
ほか無数に残る石窟は
人々が暮らす生活の舞台となっていた。
付近は今も地雷が残っているといい、
年端もゆかぬ少年兵士が警備していた。
夜間は外出禁止。
宿は大広間に雑居寝。
一台のテレビはアルジャジーラを流し、
米英のイラク空爆を伝えていた。

中央アジアの香り漂う マザルシャリフの聖なるモスク

写真

ウズベキスタン国境にほど近い、
北の都マザルシャリフ。
町の中心にはブルーモスクと呼ばれる
青いモスクが建ち、
多くの参拝客を集めていた。
シーア派の祖アリーが祀られているという。
アフガニスタンの食事は肉、肉、肉。
ケバブとチキンライスの繰り返し。
美味しいのだが、それだけでは辛い。
しかしお茶が緑茶なのがとても嬉しい。

内戦はすべてを破壊した しかし人々はこの町で生きる

写真

長時間の移動が続く。
カブールを通過し、
土漠の道を乗合カローラに乗って、
タリバーンの本拠として一躍名を馳せた
第二の都市カンダハルへ。
カブールやマザルシャリフとは
比較にならない廃墟っぷりに驚かされる。
カンダハルからの帰路に立ち寄ったガズニ。
土色に染められた素朴な街並みは、
僕らにまた強烈な印象をくれた。

 パキスタン・イスラム共和国
(Islamic Republic of Pakistan)
旅行期間 2003年4月7日~2003年6月12日(67日間)
訪問経路 (アフガニスタン)~ペシャワール~ラワールピンディ/イスラマバード~ラホール
 →チラース→ギルギット→フンザ→フンジュラブ峠~(中国)

病床に臥し激痩せのアフガン帰り カレー食せず、ラグメンすする日々

写真

15日間のアフガン旅行を終え、
ペシャワールに帰ってきた日に高熱を出す。
特殊な病気にやられたのか、
疲労や栄養不足からくる体調不良なのか、
原因は分からず、
訪れた病院では点滴を受けさせられた。
いくらか熱が下がったところで、
近郊のガンダーラ遺跡を訪れた。
博物館には断食の仏陀像が鎮座している。
愛の国ガンダーラ。
ラワールピンディに移動し、
またしばしの静養。
その間にいよいよ中国ビザの申請をした。
漢字で書かれたビザにちょっと興奮。
香辛料のきついパキスタン料理は食えず、
新疆料理のラグメン屋に通う毎日。

やっと四分の三 あと一万キロの夢、中国を目指す

写真

ラホールに預けっぱなしだった自転車。
陽気な宿主マリックと最後の別れを交わし、
さあここから太平洋を目指す走行が始まる。
病み上がりで力の出ない身体を
騙し騙ししながらペダルを漕ぐ。
ラワールピンディを過ぎて、
右折するとカラコルムハイウェイに入る。
小刻みに繰り返される無限のアップダウン。
まもなく通算走行距離が三万キロを超えた。
道はまだ遠くに続いている。

最大の試練 カラコルムハイウェイ崖崩れ封鎖

写真

追い抜いていったライダーが、
数時間後に引き返してきた。
理由を聞くと、
ここ数日の雨で橋が流されたという話。
閉ざされたカラコルムハイウェイ。
この旅最大の過酷な試練が始まった。
荷物を背負って歩いて越えている人はいる。
その情報を頼りに気軽に挑んだが、
崩れていたのは橋が一箇所だけではなく、
延々十数キロに及ぶ地獄の有様だった。

風の谷フンザでしばしの休息 新型肺炎で国境閉鎖の悪夢

写真

七千メートル級の山並みが間近に迫る、
インダス渓谷に沿った小さな村。
風の谷のナウシカの
モデルになったといわれるフンザ。
折からの新型肺炎SARSのせいで
中国国境は開かず、
カラコルムハイウェイは崖崩れで封鎖、
行き場を失った旅人たちが滞留していた。
野菜不足でジャガイモ料理が続く。
予定よりも長い休息期間となる。

それでも頂点を目指して パミール高原の高みへ

写真

休養は十二分にとった。
体調も回復した。
国境は六月になっても開かず。
旅仲間の多くは中国を諦めて下った。
されど歩みを止めるわけにはいかない。
フンザからフンジュラブへ。
丸三日間かけて坂道を走る。
いくつかの小さな村落を通過し、
最後の村スストを越えると、
静寂に満ちた孤高の道が続く。

ここぞ世界の峠フンジュラブ 標高4700の天上世界

写真

高山病の症状か、
全身が重く、呼吸が苦しい。
五分走って、十分休む。
少しずつ少しずつペダルを踏み付ける。
出発の時より
大きな目標と掲げていた地。
この長い自転車旅の頂点。
現代のシルクロードと呼ばれる
標高四千七百メートルのフンジュラブ。
大地は雪に覆われ、空はどこまでも青い。

出発から30715キロ(40000キロまで、あと9285キロ)

第9章 初転法輪 <<

>> 第11章 シルクロード



たびえもん

旅のチカラでみんなの夢をかなえる会社です

TEL:03-6914-8575
10時~17時半(日祝休)
https://tabiiku.org/

たびえもんロゴ

お問い合わせや旅行のご相談は、(株)たびえもんのサイトにて受付いたします。

海外旅行で子供は育つ!

↓本を出しました↓

★全国の書店で、発売中★