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第6章 南十字を追って/2002年3~5月 あらすじ

 ケニア共和国
(Republic of Kenya)
人口 3190万人 面積 58.3万km2
首都 ナイロビ 宗教 キリスト教、イスラム教、伝統宗教
言語 スワヒリ語、英語 通貨 ケニアシリング
旅行期間 2002年3月13日~2002年3月24日(12日間)
訪問経路 (エチオピア)~イシオロ→ナニュキ→ナイロビ→ナマンガ→(タンザニア)

美容師、宿に出張 ラスターマンに変身

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東アフリカの玄関口ナイロビ。
情報収集と休養を兼ねて、
一週間ほど羽を伸ばす。
マサイマーケットに出かけたり、
博物館を見学に行ったり、
インターネットカフェに通ったり、
スーパーで食材を買い自炊したり、
泊まっていたケニア人の紹介で
長くなってきた髪の毛を
ドレッドヘアに編み込んでもらったり。
アフリカ人になれるかな?

アフリカ随一の大都会 ナイロビはいつも春

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高層ビルが立ち並ぶナイロビ。
ヨハネスブルグに次いで、
世界で二番目に治安が悪いと言われている。
銃声だか爆発音だかが聞こえたこともあった。
出かけるときは必ず手ぶらで、
日が暮れたら外出禁止。
一度だけタクシーに乗って
有名なディスコに出かけたら、
八頭身の黒人美人に誘惑された。
標高千五百メートルのナイロビは
常春であるといわれるほど気候がいい。
露店で山盛りのマンゴーを毎日買っていた。
そんな大都会ナイロビを発ち、進路は南。
目指すは最南端ケープタウンと決めた。
中東以来、北アフリカ以来の
旅の仲間たちとも、ここでお別れ。
見送り、見送られ、いざ出発。

 タンザニア連合共和国
(United Republic of Tanzania)
人口 3520万人 面積 94.5万km2
首都 ダルエスサラーム 宗教 イスラム教、キリスト教、伝統宗教
言語 スワヒリ語、英語 通貨 タンザニアシリング
旅行期間 2002年3月24日~2002年4月3日(11日間)
訪問経路 (ケニア)→モシ→ダルエスサラーム~(ザンビア)

久しぶりの一人旅 タンザニア入国

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ナイロビから二日走ると
マサイ族が多く暮らす国境地帯。
日本語を学んでいるのだという
マサイの青年に話しかけられもした。
一泊した国境の村ナマンガでは、
夕方に激しいスコールが降ってきた。
鬱蒼とした深い緑に恵まれた大地。
ただ一筋の細長い道が
まっすぐ南へと伸びている。
車通りの少ないこの道沿いでは、
象やライオンと出会うこともあるという。

キリマンジャロを背に サバンナを南下

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ケニア以南のアフリカ諸国は
かつて英連邦だった国々。
日本と同じ右ハンドルの左車線。
○○工務店とか、××商会だとか、
漢字や片仮名のロゴが車体に書かれた
自動車を数多く見かけた。
高原の町モシは登山拠点の町。
アフリカ最高峰のキリマンジャロは
残念ながら雲の中。
なかなかその姿を現さず。
走り去る日に、ようやく拝んだ。

微熱、橙色の尿、白い便 後日知ったそれはA型肝炎

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モシを発ってまもなく体調を崩した。
身体がだるく、
37度くらいの微熱が続いた。
アフリカ辺境の田舎の村が続く道。
首都のダルエスサラームはまだ遠い。
不思議なのは尿の色と便の色。
原因不明のまま自転車に乗った。
その症状がA型肝炎だと知ったのは
数ヶ月後のことだった。
インド洋に面したダルエスサラームは
蒸し暑く、いけ好かない街だった。

 ザンビア共和国
(Republic of Zambia)
人口 1040万人 面積 752.61万km2
首都 ルサカ 宗教 キリスト教、イスラム教、伝統宗教
言語 英語、ニャンジャ語、トンガ語 通貨 クワッチャ
旅行期間 2002年4月3日~2002年4月9日(7日間)
訪問経路 (タンザニア)~ルサカ→リビングストン→(ジンバブエ)

アフリカ中南部ザンビア 鉄道駅にて泊

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タンザニアのダルエスサラームから、
国際列車タンザン鉄道に乗った。
二泊三日の汽車旅で
さらにバスを乗り継いでルサカへ。
こぢんまりした首都らしからぬルサカ。
原因不明の橙色の尿はようやく収まって、
体調も復活して一安心。
次なる心配事は、
隣国ジンバブエの大統領選後の政情不安。
今後の進路をまた迷いつつ、
ザンビアののどかな田舎道をひた走る。

轟音ビクトリアフォールズ 晴れているのにここだけ雨

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ザンビアとジンバブエの国境。
世界三大瀑布の一つ
ビクトリアフォールズが鎮座している。
ザンビア側から見学するが、
雨期の終わったあとで水量多く、
入口では雨合羽を貸し出していた。
水煙たちこめ轟音響く大迫力。
ザンベジ川に架かる小さな橋が国境で、
やっぱりジンバブエ入国。
キャンプ場はがらんとしていた。

 ジンバブエ共和国
(Republic of Zimbabwe)
人口 1257万人 面積 39万km2
首都 ハラレ 宗教 部族宗教、キリスト教
言語 英語、ショナ語、ンデベレ語 通貨 ジンバブエドル
旅行期間 2002年4月9日~2002年4月18日(10日間)
訪問経路 (ザンビア)→ブラワヨ/グレートジンバブエ→(ボツワナ)

黒人王国の巨大遺跡 アフリカの誇りグレートジンバブエ

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乾季なのに雨にたたられたジンバブエの道。
ずぶ濡れで第二の都市ブラワヨに到着。
安宿に自転車を預けて、
サハラ以南最大の遺跡といわれる
グレートジンバブエを訪れる。
「石の家」を意味するジンバブエは
その名の通り巨大な石造りの建造物群。
見晴しのいい丘に建つ王宮や、
独特の宗教感を育んだ円錐形の塔が建つ。
かつてこの地を侵略したイギリスは、
黒人がこれだけの壮大な都市を
独力で築けたはずがないと決めつけ、
聖書に記されたソロモン王の都だと主張した。
ブラワヨの郊外には、
同様の都市遺跡カミも残されており、
当時の黒人文化の広がりを感じさせた。

 ボツワナ共和国
(Republic of Botswana)
人口 172万人 面積 58.2万km2
首都 ハボロネ 宗教 キリスト教、伝統宗教
言語 英語、ツワナ語 通貨 プラ
旅行期間 2002年4月18日~2002年4月25日(8日間)
訪問経路 (ジンバブエ)→フランシスタウン→ハボロネ→(南アフリカ)

南回帰線 ボツワナ、爽快な高原地帯は続く

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ジンバブエからボツワナへ。
人口の少ないボツワナ。
町と町との間は広く離れ、
乾いた高原地帯の長い道のりが続く。
首都のハボロネさえも
まるで郊外のニュータウンのような
小さな商店街がぽつんとあるだけだった。
ザンビアあたりは黒人ばかりであったが、
ボツワナまで来ると白人の割合が増えてきた。
まもなくアフリカも最後の国だ。

 南アフリカ共和国
(Republic of South Africa)
人口 4483万人 面積 122万km2
首都 プレトリア 宗教 キリスト教、ヒンドゥ教、イスラム教
言語 英語、アフリカーンス語、ズールー語 通貨 ランド
旅行期間 2002年4月25日~2002年5月25日(31日間)
訪問経路 (ボツワナ)→マフィケン→キンバリー
 →モッセルベイ→アグラス岬→ケープタウン~(トルコ)

大航海時代の足跡 夜空には南十字が輝く

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南回帰線を越えると、
四月から五月、季節は秋へと向かっていく。
毎週飲んでいたマラリア薬も、
危険域を脱し、そろそろ必要がなくなる。
かつては人種隔離政策アパルトヘイトの国。
今は十一の公用語が認められる多民族国家。
法律は変わっても、
しかし生活の実態はなかなか変わらない。
キャンプ場に泊まれば、
白人家族がキャンピングカーで休暇を楽しみ、
町外れのスラム街では、
黒人の子供たちが裸足で駆け回っていた。
ゴールドラッシュで栄えたキンバリーを通過、
広大な農場が連なる幾多の丘を越えて、
やがてインド洋に辿り着く。
日に日に夕暮れの時刻は早くなり、
南十字星の高度は空高く昇ってゆく。

アフリカ最南端アグラス岬 海の彼方は南極

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有名な喜望峰はアフリカ最南端に非ず。
真の最南端はアグラス岬。
向かって左にはインド洋が広がり、
向かって右には大西洋が波打っている。
そして正面、
遥か前方には南極大陸があるのだ。
ついにここまで来た。
期せずして自転車が故障した。
イタリアで購入した二代目も走行一万キロ、
ケープタウンまでの三百キロ余りを
騙し騙し走る。

ケープタウン旅路の果て 日本出発ちょうど一周年

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アフリカ終着駅ケープタウン。
高層ビルの連なる市街地、
その背後にそびえるテーブルマウンテン。
独特の旅情と景観に恵まれた街。
港から観光船に揺られていくと、
あのネルソン・マンデラも拘留されていた
ロベン島という小さな島もある。
航空券が安いことで知られる南ア。
イスタンブール行の飛行機を予約する。
日本を飛び出して丸一年。
旅の前半はここに終了した。

出発から18046キロ(40000キロまで、あと21954キロ)

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