★ふねしゅーの【旅】を極めるサイト★

タイトルロゴ



自転車世界一周の旅/第39話 「アッラーは偉大なり」ムスリム青年と語った夜


 泊めてもらっている間、バシルは何度か僕を町のモスクに連れていった。小さなモスクだったが、町じゅうからたくさんの男たちが集まってきていた。「アッラー」「ムハンマド」とアラビア語で書かれた文字を入れた額が、正面中央の壁に掲げられていた。

「アッラーアクバル!」

「神は偉大なり」という意味の言葉で始まる祈りの声。一段前に座った年輩の男が音頭をとり、唱える。他の男たちが唱和する。膝をついて、頭を下げ、額を床にこすり付ける。掌も顔の横で床に付ける。

 見よう見まねで僕も同じ礼拝作法を繰り返していると、隣のおじさんが自分の鼻を指差し、ついでその指で床に触れた。額だけでなく、鼻も床に付けろと言っているらしかった。子供たちが隣でおかしそうに笑っていた。

 シリア・アラブ共和国
(Syrian Arab Republic)

シリア/ラマダン中の夕食
【シリア/ラマダン中の夕食】

 夜になるとバシルは、カブの後部座席に僕を乗せ、友人宅に連れていった。ただ遊びに来たのだろうという僕の予想は間違いだった。

 十代半ばの少年から、年配のおじさんまで集まったその場では、みんな手にコーランを持っていた。コーランの勉強会だったのだ。ストーブを囲み、順番に数小節ずつ読みあげる。一人のおじさんが先生役なのか、ときおり注意の声を挟み、見本を示していた。

 やがて勉強会が一段落し、残った若者たちは僕を話題になにやら議論を始めた。バシルがみんなを代表する形で僕に質問をした。

「アメリカは好きか?」

「オサマ・ビン・ラディンは好きか?」

「日本は広島と長崎に原爆を落とされた。なぜアメリカに反撃しないんだ? いつ仕返しをするんだ?」

 アメリカを嫌いだと答えるのは簡単で、ビン・ラディンを支持できないと伝えるのは難しかった。

シリア/冬は寒くストーブが必須
【シリア/冬は寒くストーブが必須】

 ひと通りの政治談義が終わると、バシルは話題を変えた。

「イスラムは素晴らしいぞ。ムスリムにならないか」

 彼らは本気で僕に改宗を勧めてくる。やんわり断ると、お前の宗教はなんだ、キリスト教か、と訊いてくる。仏教だと答えると、さらに、仏教ってなんだ、それは間違った考えだと畳みかけてくる。

「仏教は修業により悟りを得ようと……」

 日本語でも説明の難しい答は英語ではなお難しく、バシルの英語力もそれほど充分ではなく、彼らはまるで分からないといった顔をした。

 一度半ば冗談のつもりで「ブッダアクバル(ブッダも偉大だ)」と言ったら、バシルをはじめ全員の表情が途端にひきつり、きつい調子で怒られた。呪文のような謝罪の言葉を唱えさせられた。

「仏教は日本の文化であり、伝統なんだ」

 僕は言葉を選んだ。

 僕は特に敬虔な仏教徒というわけではない。初詣と葬式くらいでしか、お寺に行ったり、お経を聞いたりする機会はない。ただ海外で、自分の宗教を問われたとき、とりあえず仏教にしておく、その程度のものだった。

 しかし今夜は、その理由を説明してみようと思った。さもないと、改宗を断れそうになかった。また、間違った考えだと言われて、少しカチンときてもいた。

 バシルは難しい顔をして聞いていたが、やがて言った。

「そうだな。日本の伝統も大切だ。イスラムはもっと素晴らしいけど、仏教もいい」

 ブッディズムもグッドだ。バシルはたしかにそう言った。僕は妙に嬉しくなった。

シリア/ローマ・ビザンティン時代のバラ遺跡
【シリア/ローマ・ビザンティン時代のバラ遺跡】

*   *   *

「日本へ行ってみたい。仕事、あるいは留学という形で、行くことはできるだろうか」

 別れの日、悲痛ともとれる真面目な表情でバシルが言った。

 僕は回答に窮した。ビザを取るのは相当難しいだろうと思ったからだ。

「シリアは貧しい国だからな」

 バシルは悲しそうにつぶやいた。

 僕はイスタンブールのエリフのことを思い出した。彼女は来年二月に日本へ行くと話していた。ビザについて尋ねると、トルコ人は要らないとの答だった。彼女は行けるのだ。

 同じイスラムの隣国同士でも、その差は大きい。まして、こんなふうに次々と国境を越えていく旅ができる日本人との隔たりは、途方もなく歴然としていた。

 にもかかわらず、身仕度をする僕に、バシルはなんと餞別をくれようとした。旅人には施すべしとのイスラムの教えにのっとって、僕の懐を心配し、「お金は充分にあるのか」と尋ね、「足りないだろう」と言ってお金を渡そうとしてきたのだ。

 断った。理由はつけなかった。それはもう当然断るしかなかった。

 さんざん貰いっぱないしで、恩を受けっぱなしで、いつか返すことができるのだろうか。いつか再会できることがあるのだろうか。

 それでもいつの日か再会することを約して、僕は彼と別れた。

 再び自転車に乗った。

シリア/水車の町ハマ
【シリア/水車の町ハマ】

シリア/ハマの宿で自炊
【シリア/ハマの宿で自炊】

出発から10217キロ(40000キロまで、あと29783キロ)

できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 空路アラスカへ
07 20 メキシコ 自転車にて入国(ティファナ)
08 05 トゥーラ手前
5000
09 04 グアテマラ 強盗事件発生 自転車を失う
6940
30 パナマ バスにて入国(パナマシティ)
10 03 出国 空路大西洋を越える
04 イタリア 飛行機にて入国(ローマ)
05 二台目の自転車を購入、再出発
07 トルヴァイアニカ先
7000
14 ギリシア 船にて入国(パトラ)
20 アテネ市内
8000
30 ペラ手前
9000
11 02 ブルガリア 自転車にて入国(ブエゴエフグラード)
09 トルコ 自転車にて入国(エディルネ)
11 イスタンブール手前
10000
14 W杯サッカー欧州予選を観戦 翌日新聞に載る
12 03 シリア 自転車にて入国(アレッポ)

第38話 雨中の国境越え、流線ミミズ文字の国へ <<

>> 第40話 旧約聖書の時代から続く長い歴史の街



たびえもん

旅のチカラでみんなの夢をかなえる会社です

TEL:03-6914-8575
10時~17時半(日祝休)
https://tabiiku.org/

たびえもんロゴ

お問い合わせや旅行のご相談は、(株)たびえもんのサイトにて受付いたします。

海外旅行で子供は育つ!

↓本を出しました↓

★全国の書店で、発売中★