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遺跡〜それは地球上に残された人類の歴史の証。
私がこれまでに訪れた数多くの遺跡の中から、特に印象に残っているもの、感動したもの、衝撃を受けたもの、十箇所を選び、勝手な順位をつけてここに紹介します。

規模 数時間で見て回れるなら★1つ、半日かかるなら★2つ、丸一日ほしいなら★3つ、二日ほしいなら★4つ、さらに巨大なら★5つ
景観 余計な人工物に邪魔されていれば★1つ、平凡な景色であれば★2つ、風景との一体感があれば★3つ、雄大な眺めが楽しめれば★4つ、自然遺産としても登録されていれば★5つ
独自性 どこにでもあるような遺跡なら★1つ、似たような遺跡がほかにあるなら★2つ、同類の遺跡の中でも特に優れていれば★3つ、極めて稀であれば★4つ、世界でここしかないなら★5つ
難易度 町から歩いていけるようなら★1つ、鉄道かバスが直行しているなら★2つ、乗り継ぎが必要なら★3つ、交通機関が乏しければ★4つ、危険が伴うようなら★5つ


 
 第一位 マチュピチュ
ペルー
時代 16世紀? 建設者 インカ帝国(の末裔?)
規模 ★★★★ 景観 ★★★★★
独自性 ★★★★★ 難易度 ★★
世界遺産 1983年登録(複合遺産) 訪問時期 2005年5月

ペルー/マチュピチュ
 大いなる期待を抱いて訪れる旅人の、その期待を決して裏切ることのない大遺跡。世界遺産の中の世界遺産、それがマチュピチュである。かの某テレビ局の有名番組『世界遺産』においても「もう一度見たい世界遺産」の第一位に挙げられている。
 インカ帝国の都クスコから、専用の観光列車で温泉の町アグアスカリエンテスに着く。ウルバンバ川を挟んで、周囲は山また山。その山の一つが、ケチュア語(インカ帝国の公用語であり、ペルーおよびボリビアではスペイン語と並ぶ公用語とされている)で「老いた峰」という意味のマチュピチュである。
 いろは坂もびっくりの九十九折りの道をバスに揺られて上っていくと、いよいよマチュピチュの入口に着く。券売所ではまだ遺跡の姿は見えない。インカの隠れ里といわれ、スペインに侵略されたインカの人々が自らの誇りをかけて最後に築いたともいわれる都市の姿は、山肌に沿った小道を曲がっていったその先に、忽然と広がっている。
 神殿や住居跡など見所は多いのだが、私が最も驚き感動したのは、その水利技術である。マチュピチュは山の上に位置する高所の都市だ。なのにどこからか水が引かれてきて、街区の各所に配水されているのである。さらに特筆すべきは、その水が、今も流々と流れていることだ!
 インカは滅んでしまったが、彼らの築いたマチュピチュは、その生命線ともいうべき水路は、まだ生き続けていたのである。
 都市遺跡としての完成度、周囲の山の景色と一体化した風景美、そしてなにより滅ぼされた文明の悲哀。その全てにおいてマチュピチュは完璧である。私が訪れた多くの遺跡、世界遺産の中で、迷うことなくマチュピチュがその第一位である。

 
 第二位 ハンピ
インド
時代 14〜17世紀 建設者 ヴィジャヤナガル王国
規模 ★★★★★ 景観 ★★★★
独自性 ★★★★ 難易度 ★★
世界遺産 1986年登録(文化遺産) 訪問時期 2002年11月

インド/ハンピ
 二位以下は迷った。その中で私が第二位に挙げたいのは、南インドの大遺跡ハンピである。歴史的な見所の非常に多いインドにあって、南インドは比較的知られていない。日本からの観光客も、たいがいがタージマハルやガンジス川、あるいは仏教関連の史跡を巡るツアーの参加が多く、南インドに足を伸ばす人は少ない。
 しかし、南を含めたインド全土を周遊した人の多くが「一番よかった」と評するのが、このハンピである。北から迫りくるイスラム勢力に対抗し、巨大な塔門に代表されるヒンドゥ文化を華開かせたシュリーヴィジャヤ王国、その首都こそがハンピ。今は小さな内陸の閑村にすぎないが、村全体が遺跡、いやむしろ遺跡の中に村があると形容できるほど、遺跡は大規模であり、広範囲に渡っている。
 ハンピは小さな村なので、長距離交通網からは少しはずれている。ホスペットという近郊の町から、ローカルバスを乗り継いでいくのが通常のようだ。村は小さいとはいえ、安い宿はたくさんある。北インドとは違って、人々の気質はとても柔らかであり、しつこい客引きにうんざりすることもあまりない(たぶん)。
 私は三日間滞在したが、王宮や寺院など、多くの見所は点在しているので、短時間で回るのはいささかしんどい。中にはハンピの雰囲気を気に入って、のんびりと長く滞在している旅行者もいた。世界遺産の外国人料金が高いインドだが、ハンピは一部の寺院を除いて大半の遺跡は無料で見られるため、その点も魅力。ヒンドゥの神々について予備知識を持って訪れるとさらに楽しいかも。

 
 第三位 アンコールワット
カンボジア
時代 9〜14世紀 建設者 アンコール王朝
規模 ★★★★★ 景観 ★★★
独自性 ★★★★ 難易度 ★★★★
世界遺産 1992年登録(文化遺産) 訪問時期 1999年5月

カンボジア/アンコールワット
 第三位にアンコールワットを選んだ。正確にはアンコールの遺跡群と呼ぶべきか。とても徒歩では周り切れない広大な範囲に、仏教およびヒンドゥ教の遺跡が点在している。
 最も有名なアンコールワットはヒンドゥ教の寺院であり、少し離れた王都アンコールトムの中心バイヨンは仏教寺院である。インドの遺跡にも(アジャンタなど)、仏教とヒンドゥ教、さらにはジャイナ教の寺院が混在して残されているところがあるが、決して対立していたわけではなく混在して造営されている点は、一神教の西洋人には理解しにくい部分かもしれない。
 私がアンコールを好きなのは、非常にアジア的であり、自然との一体感が強いことである。アンコールワット近くの池では、子供たちが水浴をして遊んでいる。密林の道をバイクタクシーに揺られて走っていくと、次の遺跡が現れる。  なんといっても印象的だったのは、タ・プロームと名付けられた僧院の遺跡。遺跡全体が緑に覆われ、樹木の根が遺跡の壁を這っている。とうの昔に滅び去った遺跡が、成長を続けるジャングルに侵食されていた。
 蛇足。当時は社会人だったので、あまり気にならなかったのだが、アンコール遺跡群は、おそらく馬鹿高い外国人料金の先駆けである(他の国がここをまねしたのだと聞いたことがある)。

 
 第四位 ペトラ
ヨルダン
時代 前1〜後2世紀ごろ 建設者 ナバタイ人
規模 ★★★★ 景観 ★★★★
独自性 ★★★★ 難易度 ★★★
世界遺産 1985年登録(文化遺産) 訪問時期 2002年1月

ヨルダン/ペトラ
 人類で最も古い歴史を持つ地域、それが西アジア。紀元前から幾多の文明が栄え、滅んだ。当然世界史上に残る大遺跡も多いのだが、その中で白眉とも言えるのが、ヨルダン南部に凛然と建つペトラ遺跡である。
 俗に中東の3Pという(変な意味ではない)。イランのぺルセポリス、シリアのパルミラ、そしてヨルダンのペトラだ。人によって好みは違うので一概には言えないが、最も人気が高く、そして私自身もより強く印象に残っているのが、やはりペトラだ。
 映画インディージョーンズの舞台ともなり、最近では退陣間際の小泉首相が訪れラクダに乗ってはしゃいだことでも有名なペトラは、ナバタイ人と呼ばれる人々が築いた中継交易で栄えた都だ。標高千メートル級の山岳地帯の中程に位置し、独特の赤色の岩盤に彫られた寺院や住居跡が、荒涼雄大な自然の中で迎えてくれる。
 拠点となるのはワディムーサと呼ばれる町。私は自転車で訪れたのでバス路線に詳しくないが、山の中なので多少行きにくい場所かもしれない。ペトラは丸一日あっても足りないくらいの大遺跡なので、二日券や三日券を買ってじっくり観光してもよい。ついでに言うと、周囲の山岳地帯を縦断するキングスハイウェイが非常に眺望の優れた道なので、ぜひ訪れて体感していただくことをお薦めする。

 
 第五位 ティカル
グアテマラ
時代 4〜8世紀ごろ 建設者 古典期マヤ文明
規模 ★★★★ 景観 ★★★★★
独自性 ★★★ 難易度 ★★
世界遺産 1979年登録(複合遺産) 訪問時期 2001年9日

グアテマラ/ティカル
 グアテマラは私にとって、辛い思い出の地である。言わずもがな、強盗に遭ったからだ。その強盗に遭った直前、訪れたのがティカル遺跡、中米に数あるマヤ遺跡の中でも最大規模を誇る壮大な遺跡だ。
 第一位に挙げたインカ文明のマチュピチュもそうだが、中南米の遺跡を訪れるときは、やがてその文明を襲うことになる悲劇を思わずにはいられない。中東からヨーロッパにかけて多く見られるローマ時代の遺跡群は、まさしく歴史の勝者の遺跡であり、アジア諸国の遺跡群も、その文化を連綿と現代に残している。
 それに比べると、マヤの人々が辿った運命は、より悲惨である。密林に埋もれるようにして、特徴的な縦長の神殿が林立している。高度な天文学と、二十進法の数学と、独特の絵文字を誇ったマヤの文明は、残念ながら西洋文明に圧されて現代にほとんど残っていない。
 ティカルは世界文化遺産であることはもちろん、同時に自然遺産にも認定されている複合遺産である。深いジャングルの中で、石造りの遺跡を巡っていると、色鮮やかな鳥たちや、樹上に遊ぶ猿のような動物たちにも出会うことができる。
 
 第六位 グレートジンバブエ
ジンバブエ
時代 13〜15世紀 建設者 モノモタパ王国
規模 ★★★★ 景観 ★★★★
独自性 ★★★★★ 難易度 ★★★
世界遺産 1980年登録(文化遺産) 訪問時期 2002年4月

ジンバブエ/グレートジンバブエ
 サハラ以南のいわゆるブラックアフリカ最大の遺跡。それがグレートジンバブエだ。ジンバブエというのは地元の言葉で「石の家」を意味し、それが現在のジンバブエという国名にもなっている。
 グレートジンバブエはモノモタパ王国というアフリカ中南部に大きな版図を築いていた黒人王国の都である。石の家の名のとおり、大きな石造りの王宮や、祭事の場として使われていたとおぼしき大回廊など、立派なものである。それがあまりに雄大なため、最初この遺跡を発見したイギリス人が、黒人たちの業績であるとは認めたがらず、聖書に記述のある伝説のソロモン王の都であると決めつけたのは有名な話。
 グレートジンバブエだけが突出して有名であるが、ブラワヨ郊外のカミ遺跡など、同時代の遺跡は、他にも各所に残されており、当時この地に栄えていた文明圏の広さを感じさせる。
 私が訪れたとき、グレートジンバブエはあいにくの雨だった。右の写真も、よく見ると傘を持っているのが分かる。雨だけではなく、霧が立ちこめていたため、あまり周囲の眺望を楽しむことはできなかったのだが、天気がよければ、王宮からの眺めは素晴らしいらしい。
 交通の便はあまりよくない。マシンゴという町からさらにローカルバスに乗り継いでいく必要がある。バス停からも、いささか歩いた。
 遺跡の周辺はなんにもないような田舎だが、遺跡内に泊まることができる。キャンプも可能だし、格安の宿泊施設もある。不便な場所でもあるし、せっかくであるから一泊してじっくり観光するのがお薦め。 

 
 第七位 バーミヤン
アフガニスタン
時代 1〜10世紀ごろ 建設者 バクトリア王国ほか
規模 ★★ 景観 ★★★
独自性 ★★★★ 難易度 ★★★★★
世界遺産 2003年登録(文化遺産) 訪問時期 2003年3月

アフガニスタン/バーミヤン
 バーミヤンの大仏がタリバーンによって破壊されたのが、二〇〇一年の春、ちょうど私が自転車世界一周の旅に出る直前だった。そのときには、およそ二年後に、アフガニスタンに入国して自分がその場所を訪れるとは、思ってはいなかった。
 現在はイスラム化されているアフガニスタンも、かつては仏教文化が華開いた土地だった。西遊記の三蔵法師として有名な玄奘も、その長い旅の途中にバーミヤン谷を訪れている。
 大仏は破壊されてしまったものの、バーミヤン遺跡は峡谷の全体に広がっている。大大仏と小大仏、二体の大仏が置かれていた洞穴以外に、住居として使われていたとおぼしき無数の穴が、峡谷の崖には穿たれており、その一部は、今も地元の人々の生活の場となっている。よく見ると、岩に模様のようなものが描かれている箇所を発見することができ、滅んだ文明の栄華を微かに感じることができる。
 バーミヤンを訪れるのは容易ではない。それはアフガニスタンという国自体が危険な状態にあるということもあるし、首都カブールからの道も、乗合のハイエースで砂利道を一日揺られなければいけないという、便の悪さもある。遺跡から歩いて十分くらいのところに、現在のバーミヤンの町があり、その中にある食堂が宿舎を兼ねていて、泊まることができる。また、谷に沿って歩いていった先には、素朴な集落が続いている。
 大仏なきあと、ただ単純に遺跡としての見栄えや迫力を考えると、バーミヤンは何もない。ただ崖に穴ぼこがたくさん空いているだけである。年端もゆかぬ少年兵がライフルを構えて警備し、外国人と見れば陽気に話しかけてくる。そうそう、大事なことを述べ忘れていたが、バーミヤン地方に住むハザラ人は、顔立ちが日本人とよく似ている。そんな親近感を感じながら、古代の歴史浪漫と、現代史の矛盾を考える。バーミヤンで世の無常を思うのもよいのではないだろうか。
 
 第八位 万里の長城
中国
時代 前3世紀、15世紀 建設者 秦王朝、明王朝
規模 ★★★★★(総延長2400km) 景観 ★★★
独自性 ★★★★★ 難易度 ★★
世界遺産 1987年登録(文化遺産) 訪問時期 2003年7月

中国/莫嵩窟
準備中

 
 第九位 ウル
イラク
時代 前40〜10世紀ごろ 建設者 シュメール人
規模 ★★ 景観 ★★
独自性 ★★★★ 難易度 ★★★★★
世界遺産 未登録 訪問時期 2002年1月

準備中

 
 第十位 モエンジョダロ
パキスタン
時代 前25〜18世紀 建設者 インダス文明
規模 ★★ 景観 ★★★
独自性 ★★★★ 難易度 ★★★★
世界遺産 1980年登録(文化遺産) 訪問時期 2002年9月

 モエンジョダロはインダス文明の遺跡である。立派なレンガ積みの都市遺跡であり、とても紀元前二千年という太古の遺跡とは思えない。教科書にも乗っている有名な遺跡であり、その時代から水道設備を有していたというから驚きだ。
 そもそもはクシャナ朝時代の仏教遺跡だと考えられており、遺跡の中央には丸っこい形の仏塔が残されている。
 訪れるのに一番いい季節は十二月だといわれるが、その理由はなんといっても暑いからだ。私が訪れたのは十月だが、それでも凄まじく暑かった。モエンジョダロ近郊はパキスタンの中でも治安があまりよくないところで、観光客を狙った強盗事件なども発生しており、そのため遺跡観光には護衛がつくのだが、逆に護衛のおじさんがばててしまっているほどだった。
 これだけでは並みいる世界中の遺跡たちを差し置いて十位入賞とはならないのだが、私にとってのモエンジョダロは、それまでひたすら砂漠地帯を走ってきて、久しぶりに出会う緑の世界という、強烈な印象を伴って記憶に残っている。
 私はインダス川の畔の町サッカルに泊まり、そこから日帰りで訪れたのだが、多くの旅人にとっては、より近いラルカナという町が拠点となる。上記の通り治安があまりよくないため、外国人旅行者が来ると、宿の人間が警察に知らせ、護衛の警官を手配してくれるのだという話。 

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