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九年前の卒業旅行で、僕は冬の欧州を訪れた。
一ヶ月の鉄道旅行であり、前半に東欧を、後半に西欧を訪れた。
その当時、東欧の多くの国は、日本人にはビザが必要だった。
社会人時代の長期休暇で、僕は再び欧州を訪れた。
自転車に跨がって、
ポルトガルとスペイン(およびモロッコ)を走った。
世界一周の途中で欧州を訪れた僕は、
イタリアとギリシアとブルガリアを走り、トルコへ抜けた。
自分でも驚くのだが、今回が四度目のヨーロッパ。
学生時代にはビザ代の壁に阻まれ、その後も縁がなかった二国。
チェコとポーランドを、ついに訪れた。
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ロシア連邦
(Russian Federation) |
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| 人口 |
1億4350万人 |
面積 |
1707万km2 |
| 首都 |
モスクワ |
宗教 |
キリスト教(ロシア正教)ほか |
| 言語 |
ロシア語 |
通貨 |
ルーブル |
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| 旅行期間 |
2006年5月3日/9日(途中降機) |
| 訪問経路 |
(日本)〜モスクワ〜(チェコ)/(ポーランド)〜モスクワ〜(日本) |
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5月3日
アエロフロート航空 モスクワ経由
昨年同時期の南米横断旅から
丸一年ぶりの海外渡航。
イエメンや中央アジアなど
行先はいろいろ迷ったのだが、
最終的にはチェコ・ポーランドに決定。
モスクワ経由のアエロフロート航空、
九年前に卒業旅行で利用して以来、
当然雰囲気がぐっと変わっているだろうと
期待していたのだが、
乗り継ぎ手続の要領の悪さから、
空港内の照明の暗さまで、
何も進歩しておらずに唖然とした。
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チェコ共和国
(Czech Republic) |
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| 人口 |
1025万人 |
面積 |
7.9万km2 |
| 首都 |
プラハ |
宗教 |
キリスト教(カトリック)ほか |
| 言語 |
チェコ語 |
通貨 |
コルナ |
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| 旅行期間 |
2006年5月3日〜2006年5月5日(3日間) |
| 訪問経路 |
(ロシア)〜プラハ/カルルシュテイン〜(ポーランド) |
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チェコ入国 バスと地下鉄で市街へ
一転して明るい雰囲気のプラハの空港。
夏時間のお陰で日が長く、
午後七時過ぎの到着でもまだ日没前、
緑の平原を眺めながら、
バスと地下鉄を乗り継いで市街地を目指す。
地下鉄の券売機はお札が使えず、
窓口で尋ねても両替はしてもらえず、
わざわざ外の売店でお願いするほかなく、
このあたりの不親切さと手際の悪さに、
苛立ちつつも、なんだか、
旅が始まったのだなという実感を持つ。
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5月4日
旧市街広場で 早速ビールを一杯
中世ボヘミア王国の首都として大いに栄え、
その古き街並が、
ヨーロッパで最も良く
保存されているといわれる町、プラハ。
旅行者人気も高い町でもあり、
ビールが世界一旨い町としても知られている。
天文時計が残る旧市庁舎や、
幾多の歴史ある教会や、
宗教改革の英雄フスの銅像に囲まれた
旧市街の中心広場で、
まずは最初の一杯を味わう。
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カレル橋と プラハ城の眺め
旧市街の路地を抜けていくと、
やがて視界に広がるのはヴルダヴァ川。
六百年の歴史を持つ石橋カレル橋と、
川向こうの丘に悠然と建つプラハ城。
この街が、ヨーロッパで最も美しいと
謳われるその意味が理解できたように思う。
車の乗り入れが禁止されたカレル橋。
神聖ローマ皇帝にも選出された
チェコで最も尊敬されるカレル四世が築いた。
似顔絵書きや、楽器演奏者、
土産物売りが集まり、人通りが絶えない。
思った以上に東洋人の観光客も多かった。
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プラハ城内 中世の小路を往く
カレル橋を渡り終えると、
プラハ城の丘に向かって長い上り坂。
昨日の飛行機の冷房で風邪を引いたようで、
どうにも喉が痛いが、頑張って登る。
現在は大統領府とされているプラハ城、
正午には衛兵交替の儀式が行われ、
そのあとは新兵の入隊式(?)なのか、
軍服姿の若い兵士たちが大集合していた。
ゴシック様式の巨大なヴィート大聖堂や、
ロマネスク様式の聖イジー教会、
そして黄金小路と呼ばれる狭い路地、
場内にも見所は多い。
とりわけ高さ九十六メートルの尖塔から
プラハ市街の眺めは抜群。
眼下にヴルダヴァ川が蛇行し、
赤茶けた屋根の古い町並みが延々と続く。
悔しいほどの景観だった。
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5月5日
近郊電車に揺られ プラハ郊外へ
首都だけでは物足りない。
田舎の町もちょっとは見たい。
そう考えて電車に乗って、
小一時間のカルルシュテインへ。
タンポポの野原が広がるのどかな町に、
歴代の王の別荘であり、
また財宝を保管する要塞でもあった
武骨な外観のカルルシュテイン城が建つ。
こんな小さな町の両替所でも、
千円札が両替できることに驚いた。
九年前の東欧では、
米ドルか独マルクのみだったと思う。
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プラハ新市街を ぶらりと歩く
午後は再びプラハに戻り、
国立博物館やムハ美術館を巡る。
そして新市街をぶらぶらと散策するが、
参ったのは予想以上の物価の高さ。
一昨年にEU加盟を果たしたチェコ、
通貨はまだ独自のコルナであるが、
ユーロ高に引きづられているのか。
食事の値段も、
街角で売られているジュースの値段も、
観光料金もみな高い。
西欧はもっと高いのだろうか。
日本のほうが安いぞと、ひもじく思う。
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チェコからポーランドへ 夜行寝台列車で
プラハからポーランド南部のクラクフへ。
国境越えは夜行寝台列車の旅。
相席はチェコ人とポーランド人の年輩夫婦。
ベトナム人かと問われて苦笑い。
久々に言われたなあと思う。
深夜に国境駅で停車、旅券の確認を受ける。
と、隣のコンパートメントが騒がしい。
車掌と乗客の英語の声を聞いてみると、
どうやらパスポートの不所持で
ポーランドに入国できず追い返されるらしい。
不運な旅行者はイギリス人のおばさん、
EU圏内はパスポート不要と抗議も実らず。
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ポーランド共和国
(Republic of Poland) |
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| 人口 |
3830万人 |
面積 |
32.3万km2 |
| 首都 |
ワルシャワ |
宗教 |
キリスト教(カトリック) |
| 言語 |
ポーランド語 |
通貨 |
ズオチ |
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| 旅行期間 |
2006年5月6日〜2006年5月8日(3日間) |
| 訪問経路 |
(チェコ)〜クラクフ/オシフィエンチム/ヴィエリチカ〜ワルシャワ〜(ロシア) |
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5月6日
負の世界遺産 アウシュビッツを訪ねて
第二次大戦中はドイツ軍の司令部が
置かれたという古都クラクフ。
その近郊の町オシフィエンチムに、
ヒロシマと並ぶ負の世界遺産は
ひっそりと保存されている。
ドイツ名アウシュビッツ。
言わずと知れた民族虐殺の強制収容所跡地だ。
ユダヤ人の大虐殺として有名だが、
ポーランド人や、遊牧民ロマの人々など、
二十八の民族、百五十万人以上が殺された。
有刺鉄線と、ガス室と、焼却炉、
繊維業者に売られたという犠牲者の髪の山。
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最果ての鉄路 絶望の終着駅ビルケナウ
二キロ離れたビルケナウ。
アウシュビッツ以上に広大な敷地で、
線路の引き込み線が敷かれている。
旅人にとっての鉄道は、
旅情を誘うものであり、
未知なる世界への期待を運ぶものである。
百数十万の命を乗せた死の列車、
にわかには想像ができなかった。
忘れてはならないのは、
戦争は常に残酷であり、
人類の歴史は常にその繰り返しであること。
アウシュビッツだけに封じ込められはしない。
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ポーランド王国の旧都 クラクフ
十四世紀から十六世紀にかけて、
ヤギェウォ王朝の都として栄えたクラクフ。
環状の園地に囲まれた旧市街の
北端には円形要塞のバルバカンが鎮座し、
南のヴィスワ川に面しては
ヴァヴェル城がそびえていた。
城内に建つ大聖堂は、
ゴシック、ルネサンス、バロックの
三時代の様式で建設された礼拝堂が競演し、
不思議な空気を醸し出していた。
アウシュビッツに時間をとられ、
建物内に入れなかったのが残念。
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シルクロードを彷佛させる 織物会館
旧市街の中心に位置する中央市場広場。
聖マリア教会にはかつて、
モンゴル軍の襲撃を受けたという逸話が残る。
衣服や布地の交易所だったといわれる
織物会館は、その内部に立ち入ると、
まるでアジアのバザールのような雰囲気。
ヨーロッパも東へポーランドまで来ると、
徐々にユーラシア的色彩を帯びてくるのか。
現代に残る織物会館という名称は、
決してシルクロードと無縁では
なかったのだろうと感慨深く思う。
クラクフという町がとても気に入った。
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5月7日
世界最大の岩塩採掘場 ヴィエリチカ
クラクフから近郊電車で小一時間。
ヴィエリチカという小さな町に、
巨大な地下迷路が広がっている。
十三世紀の半ばから前世紀まで稼動していた、
世界最大規模の岩塩採掘場である。
ただの岩塩鉱山ではなく、
塩の迷路には、塩で造られた彫像や、
礼拝堂や、地底湖など見所が盛り沢山。
英語ツアーによる見学だったが、
十二分に楽しめた。
死海、ウユニ塩湖と並ぶ、
世界三大「塩」決定である。
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焦土から蘇った ワルシャワ旧市街
クラクフから首都ワルシャワまでは、
急行列車で三時間ほどの道のり。
ワルシャワ中央駅の駅前には、
スターリンが贈ったといわれる巨大ビル、
文化科学宮殿が山のようにそびえ建ち、
旧社会主義国家の面影を強く残していた。
そこから三十分ほど歩いていくと、
突然狭く古ぼけた街並に突入する。
第二次大戦後の焦土に再建されたという
旧市街の古い建物群である。
日本は戦争で焼けたから古い建物が
残っていない、というのが、いかに嘘か。
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復興された城壁と 午後八時の落日
今まで三度訪れたヨーロッパは、
いずれも秋ないし冬。
日が長い季節に訪れたのは今回初めて。
夏時間の効果で、午後八時でもまだ明るい。
日没が望める城壁の界隈では、
多くの市民が憩っていた。
最後の夕食は
ぜひポーランド料理を味わおうと
看板見つけて店に入ったら、餃子屋だった。
中国の餃子がロシアを経て
ピエロギと呼ばれて広まっている。
こんなところでもユーラシアを感じた。
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5月8日
東欧の寂れた雰囲気残す 川向こうの市場
短い旅行の最終日。
ワルシャワ発が午前十一時で時間がない。
惜しむように早起きをして、
ヴィスワ川を渡った対岸の市場へ。
競技場を囲むようにして立つ市場は、
ポーランド人のおじちゃんおばちゃんと、
華僑とおぼしき東洋系の顔立ちと、
そして驚くほどに黒人が多かった。
売っているのは布地や文房具など日用品。
売り子から声をかけられることはなく、
なんとも活気がない寂れた雰囲気。
土産のお菓子を大量に仕入れた。
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日本国
(Japan) |
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5月9日
一週間の旅路を終え 東京へ
帰りもまたモスクワ経由。
今度は四時間の乗り継ぎ、とても暇。
せめて空港の外に出られれば、
市街地に行って戻って来られるのに、
ウォッカを買って飲むくらいしかできず。
そして日本へ。
税関では荷物を開けられることなく通過。
一週間髭を剃らずにいたし、
汚れたパスポートは判子だらけだから、
止められる可能性が高いと覚悟していたが、
あっさり行けたのは夫婦者の信用度?
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