第38話
雨中の国境越え、流線ミミズ文字の国へ
ときおり小雨のぱらつく道。国境ではトラックが長蛇の列を成していた。トルコ側の出国手続のとき、にわかに雨足が強くなり、食堂や売店がある建物の中で、僕はしばし足止めとなった。
シリアに入って僕がまず感じたことは、トルコは先進国だったという回想だった。道は狭く、舗装は悪く、雨の影響で泥だらけ。走っている車は汚くて排気も臭かった。たまに立派なバスが通り過ぎていくが、それはみなトルコのバスだった。
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トルコ共和国
(Republic of Turkey) |
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↓
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シリア・アラブ共和国
(Syrian Arab Republic) |
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断食月ラマダンは続いており、沿道の飲食店はどこも閉まっていた。売店は開いていたのでパンやオレンジを買うことはできたが、その場で食べるわけにはいかない。人目につかない場所まで移動し、こっそりと食した。
ところがガソリンスタンドで休憩し、ビスケットでも買おうとしたところ、奥に招かれ、ごく当たり前のようにチャイを出された。壁にはメッカの写真が飾られ、ムスリムであることは間違いなかったが、おじさんは自分もチャイを飲んでいた。(そんなものかもしれないな)と安易に納得し、僕もチャイを啜った。
雨、上り坂、逆風に悩まされつつも、日暮れ寸前にアレッポ(アラブ名ハラブ)に到着した。シャッターを閉じた店が多く、薄暗く湿気ていて、気分はあまり冴えなかった。
翌日も曇り空。十字軍やモンゴル帝国の攻撃にも耐えたという巨大なアレッポ城や、アーケードのあるスークを僕は歩いて回った。スークとはアラビア語で市場のこと。金物屋や薬屋、布地屋や鶏肉屋など、同業種ごとに店舗が集まっている。名産の石鹸を土産物として売っている店もあった。
【シリア/アラブ圏へ、いざ入国】
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【シリア/堅牢なアレッポ城】
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郊外を自転車で走っているときは、女性といえばみなヘジャブで頭髪を隠しているように思えたが、都会に来ると髪を露出している女性もちらほらと歩いていた。街角の広告看板にも、肌を露出した洋装の女性を普通に見かけることができた。かと思えば、顔にも薄手の黒いベールをかぶり、完全に表情を隠して歩いている女の人もいた。
カフィーヤと呼ばれる格子模様の布を頭に巻いた男たちは、気軽に話しかけてくる。
「アッサラーム・アレイクム」
僕は唯一知っているアラビア語の挨拶で答えた。
街を散策していると、「ミミズがのたくったような」などと形容される流線形のアラビア文字が目につくが、実は文字だけではなく、書き文字としての数字も違う。0が・だったり、7を∨と書いたりする。さほど難しいわけではないが、市場などで安く買い物をするためには、それも覚えなくてはいけなかった。
泊まった宿ではCNNが見られたが、宿のおじさんたちが興奮して見ていたのは、アラビア語の国際放送、パレスチナ情勢を伝えるアルジャジーラのニュース番組だった。
また、トイレに紙はない。トルコでも田舎はそうだったが、それは、お尻は水をすくって洗う「水文化圏」の始まりであった。
【シリア/アレッポのザカリーエ・モスク】
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【シリア/市街中心部の時計塔】
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アレッポをあとにして、街道沿いを南へ下る。午後三時過ぎ、およそ八十キロ離れた小さな町マアッラーナマンで、バシルと名乗る髭面の青年が僕に言った。
「この町にホテルはない。うちに泊まるといい」
通りから脇道を少し入ったところ、石造りの簡素な家に僕は案内された。部屋には絨毯が敷かれ、靴を脱いで上がることになっていた。本棚とクッションが置かれていた。
「いとこと、弟たちだ」
バシルに紹介されて、少年たちが集まってきた。バシルはアレッポの大学に通う大学生だったが、弟やいとこたちはまだ小さく、アラビア語しか話せなかった。しかし興味津々で、兄貴が連れてきた異国の客人を眺めていた。
まもなく日没を告げるアザーンが聞こえると、夕食の時間だ。ホブスと呼ばれる丸く平たいパンが主食、肉だんご、揚げたジャガイモ、ヨーグルトなどが、大きなアルミのお盆に並べられた。絨毯にあぐらで食べる。
バシルの家族は男兄弟が十人、女姉妹が三人だった。ずいぶん大家族だと思って聞いていると、バシルの父には妻が二人いて、それぞれ別々に住んでいるとのこと。この家にいるのはバシルのお母さんとその子供たち。ただ、僕が会うことができるのは、バシルと三人の弟たちだけで、女性の家族と顔を合わせることはできなかった。
一泊だけのつもりだったのだが、翌朝バシルは遠慮がちに、しかし当然のように、「今日も泊まっていけよ」と僕を慰留した。
【シリア/隣国ヨルダンまでつながっている道】
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<出発から10135キロ(40000キロまで、あと29865キロ)>
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