|
第36話
欧亜の交差点、ボスポラス海峡を眺めて
「卒業試験ですよ、お父さん」
コンヤペンション二階のパソコンコーナーで、シンゴちゃんがオーシロさんに、インターネットと電子メールの使い方を教えていた。五十一歳のオーシロさんは、マウスを動かし、人差し指だけを使ってキーボードを叩いていた。
「えーっと、これだったかな」
 |
トルコ共和国
(Republic of Turkey) |
時代は進む。確実に進む。若者と呼ばれる僕らでさえ、近年のインターネットや携帯電話の進化には驚かされる。僕は学生のときから何度か海外に出かけたことがあるが、連絡手段といえばもっぱら絵葉書だった。インターネットは旅のあり方も変えている。
オーシロさんは、「沖縄がまだアメリカに占領されていた頃からの旅人」だった。僕たちと一緒に日の丸を広げ、トルコを応援したとき、あるいは脳天気に騒いでいた僕らとは、また違った感慨を持っていたのかもしれない。しかし、オーシロさんはあまりそういうことは言わず、僕らに合わせていた。
「最近の若い人たちはさすがだね。英語もちゃんと喋れるし、自分の考え方だって持っているんだから」
そんなオーシロさんはシリアへ、ヤマグチくんやシンゴちゃんはブルガリアへ、それぞれ旅立っていった。
【トルコ/コンヤペンションの前にて】
|
|
【トルコ/イスタンブールでボーリング大会】
|
僕は自転車の整備などしつつ、まだイスタンブールにいた。ユーシさんやツグちゃんたちは、僕よりも長居で、沈没状態だった。沈没とはバックパッカー用語で、さして観光もせず、一ヶ所に滞在を続けることである。
「みんなさ、今まで旅の出会いとかなかったの?」
「いや特には」
「ユーシさんは?」
「ちょっとだけね。でも旅先五割増しだからな」
以前は飲料会社の営業をしていたというユーシさんは、その言葉が好きでよく連発していた。日本で会えば大したことのない相手でも、海外で会うと、男はかっこよく、女はかわいく見えてしまう、という理論だった。
見所が多く、ビザの申請にも便利、なにより語らう仲間の多いイスタンブールは、沈没者の多い街だった。
【トルコ/沈没者たちの夕食】
|
|
【トルコ/ガラタ橋から旧市街の眺め】
|
* * *
今も昔も交通の要衝であり、旅人集まるイスタンブールは、大きく三つの地区に分かれている。ボスポラス海峡を挟んで東のアジア側地区、西のヨーロッパ側のうち金角湾より北の新市街、そして金角湾とマルマラ海に挟まれた旧市街である。
その中で僕がひときわ好きなのは、金角湾に架かるガラタ橋の界隈だった。アジア側の町ユスキュダルに渡る船や、ボスポラスクルーズに出る観光船の発着場があり、海と丘と、街並みの眺めが素晴らしかった。
イスタンブール名物のサバサンドが売られているのも、ガラタ橋のたもとだった。小舟の上で焼いたサバにタマネギを添えてパンに挟むだけのごく単純な食べ物で、百万トルコリラという価格は割高だったが、魚が恋しい日本人旅行者には人気があった。
ガラタ橋を渡ると、急傾斜の坂道が眼前に立ちはだかった。なぜか自転車屋が多いその坂を上りきると、お洒落な店が建ち並ぶ随一の繁華街イスティクラール通りに出た。
今日のイスタンブールには、アジアとヨーロッパが融合した独特の雰囲気がある。西から来た旅人は、モスクから聴こえる祈りの声アザーンや香辛料の匂いにオリエントの異国情緒を感じ、逆に東からきた旅人は、若者たちの垢抜けた服装や近代的なビル街に、アジアの旅が終わったことを感じるという。
【トルコ/ラマダン期間中、日没後の広場】
|
|
【トルコ/日の丸と共に記念撮影】
|
新市街の中心タキシム広場から少し離れた雑居ビルの中に、シリア領事館があった。アラビア文字の書かれた表札が掲げられ、頭髪を隠したヘジャブと呼ばれるスカーフ姿の女性係員が、ビザの手続に丁寧に応対してくれた。
この先の旅程を、イスタンブール到着まで迷い続けていた僕だったが、オーシロさんやユーシさんなど、これからシリアに下ろうとしている人が多いということが、僕のアラブ世界に行ってみたいと思い始めた気持ちを大きく後押ししていた。
まもなくラマダンが始まった。ラマダンとはイスラム暦の九月、普段食べ物のあることを神に感謝し、日の出から日没までの間、一切の飲食を断つという一ヶ月。イスタンブールにおいては従わない人も多く、昼間から営業している飲食店も珍しくない。しかし、エリフたちコンヤペンションの家族は、これを守っていた。
旅行者にその義務はないが、僕はイスタンブールにいる間だけでも郷に従おうと思い、昼間はお腹を空かした。
夕飯が旨かった。
<出発から4060キロ(40000キロまで、あと35940キロ)>
|