|
第29話
イタリア半島横断〜アドリア海へ
アンディと別れた日、僕は船でカプリ島に渡り、のんびりと観光をした。燦然と輝く陽射しの中、青い海と白い家々を眺め、島の坂道を歩いた。ときおりすれ違う日本からの団体客が、なんだか遠い存在に思えた。
夜、宿に戻ると、テレビのCNNニュースにみんな釘付けだった。アメリカのアフガニスタン空爆が始まったようだった。
 |
イタリア共和国
(Republic of Italy) |
ナポリを発ち、南下すること三十キロ、古代都市ポンペイの遺跡がある。西暦七九年の大噴火で滅んだ都市がそっくり残されていた。
入口で貰った地図を片手に、町を散策するような気分で歩くのが面白い。通りには名前が付けられ、番地がふられ、中にお邪魔できる家もあった。ギリシア神話に関する壁画が飾られていたり、噴水になっていたと思われる池があったり、ブドウ棚が作られていたりと、期待していた以上に見応えがあった。二時間もあれば充分だろうと思っていたのだが、たっぷり四時間は迷い歩くことになった。
ポンペイからさらに南下して港町サレルノ。そこから僕の進路は内陸に向かった。イタリア長靴半島を横断して、アドリア海に面したブリンディシまでは三日間の道のりである。
斜面に広がる畑、散在するまばらな家、風に乗って漂うワインの匂い、幾重にも連なる赤茶けた山。のどかな田園風景が続いた。そんな時の流れが止まったような景色の中、突然巨大な高速道路の橋桁が山間を貫いているのが見えて、(ああ、ここも先進国だったのだ)と気づく。
【イタリア/ポンペイ遺跡】
|
|
【イタリア/ポンペイ遺跡】
|
川沿いの谷や盆地に町が造られている日本とは異なり、こちらでは見晴らしのいい丘のてっぺんに町がある。山の上に教会が建ち、その周囲に家並みが形成されている。ふもとは畑だったり、あるいはただの荒野だったりして何もない。坂を下っていると、前方に青空をふさぐようにして山が見える。
日本だったら緑に覆われているであろう山の頂きに町があるという眺めは、けっこう壮観だ。水道など引くのは大変だろうとは思うのだが、きっと中世の頃からそのままの場所なのだろう。
坂道をこいでいると、ロードレーサーに乗ったおじいさんが話しかけてきた。カラフルなレーサージャージを身に付けた姿が、イタリアの壮年にはよく似合う。英語はほとんど通じないが、苦し紛れに中米で覚えた片言のスペイン語を連発すると、これが単語レベルでわりと通じた。イタリア語とスペイン語は非常によく似ているのだ。
「そうか日本人か。お前はイタリア語がちったあ喋れるんだな」
そんなことを言われると、とても気恥ずかしくなった。今はまだ単語が口からすらすら出てくるけれど、この先使う機会はないから、いずれスペイン語もすっかり忘れてしまうのだろう。
【イタリア/ワインの匂いが立ち込める】
|
|
【イタリア/半島縦断の道は続く】
|
* * *
十月十三日、僕はブリンディシに到着した。潮風がほのかに匂った。
ブリンディシはこぢんまりとした町だったが、ギリシアやトルコ、アルバニアといった国名の書かれた看板がやたらに目立った。乗船券を扱う旅行代理店の看板である。レストランも旅行者を相手にしたものが多く、町全体が国際フェリーの存在で成り立っているといった雰囲気だ。ギリシアのパトラまで、船賃は五万七千リラ(約千六百円)だった。
乗船時刻まで時間があったので、僕はインターネットカフェを訪れた。案の定、父からメールがあった。グアテマラ以来、その回数は頻繁だった。
《百歩譲ってトルコはいいが、イランへは絶対に行くな。穏健なイスラム国家であるマレーシアやインドネシアでも大規模なデモが起きている。ましてイランなど、何が起こるか分からない。慎重に考えること》
僕は暗鬱とした気分になった。イスラム圏だから危険だという父の認識はいささか短絡的にすぎるだろう。単にテロが起こる危険性を考えたら、逆にイタリアあたりのほうがずっと高いように思う。
(僕はどこに進めばいいのか)
旅の進路は闇の中に埋没していた。治安の悪い中南米から逃げ出し、旅の目的をシルクロード走破に絞るつもりで大西洋を越えてきたはいいものの、心配をする親の忠告を振り切ってまで旅に突き進む気力が、このときの僕にはなかった。
【イタリア/丘の上の田舎町ピセルノ】
|
|
【イタリア/港町ブリンディシへ】
|
五万七千リラの乗船券は、船室なし、甲板でごろ寝の料金だった。同じ待遇の西洋人の若者たちが、甲板にマットを引いて、寝袋にくるまれて寝転んでいた。僕はザックを枕にして、彼らに倣った。
すでに夜。あたりは暗い。船はゆっくりとイタリアを離れ、アドリア海を隔てたギリシアへと向かった。
風が強かった。
<出発から7676キロ(40000キロまで、あと32324キロ)>
|