表紙へ戻る
 



男親の出産立ち会い体験記  お産の凄まじさと生命誕生の迫力に衝撃受ける



オーマイニュース掲載版はこちら

 昨年9月に神社へ安産祈願に出かけたとき(「安産の神様、水天宮を訪ねて」)と、12月に自治体主催の育児準備教室に参加したとき(「パパとママの準備教室」)、それぞれにこれから父親になる私の体験を記事に書いた。本記事はその続き、出産に立ち会ったときの体験である。

 妻は30代前半である。今どき30を超えての初産など珍しくないが、骨盤が平均より小さいらしく、無事に産めるのか一抹の不安があった。2分の1の確率で帝王切開になると告げられ、なるべく赤ちゃんが小さいうちに産んだほうがいいので、たくさん歩いてお産を促進するようにと言われていた。

 私も仕事が休みの日には散歩に付き合ったが、そのときは近所の大きな公園の園内一周に加え、電車の駅にして3駅分を歩き通した。

 それでもなかなか陣痛は来ない。予定日が次週に迫り、その時点でまだ兆候がなければ、骨盤の大きさと胎児の大きさを今一度精密検査で確認し、帝王切開するかどうか判断すると言われていた。

 そんなとある朝、起きしなに妻が、破水したかもしれないと言った。破水とは子宮内の羊水が外にこぼれてくることである。普通は陣痛より後にあるが、先にくることもままあるらしい。タクシーを呼んで産院に直行、そのまま入院となった。

 私は午前中は仕事に行き、午後から早退して産院へ急いだ。ただ、この時点では妻はまだ、あっけらかんと暇そうにしていた。時折おなかが痛むそうだが、看護師さんいわく「まだ全然お産の顔じゃない」。院長先生も「これは明日だな」とおっしゃる。

 夜になっても状態に変化はない。私は産院に泊まり込み、そのときが始まるのを待つことにした。明日になってもまだ陣痛が来なかったら、やはり帝王切開を検討するという話で気が気ではないが、男にできることは近所の店でお茶を買ってくることくらいだ。

 妻のうなり声で目が覚めたのが午前4時過ぎだった。妻は、おなかの痛みが強まってきたらしく、ベッドの上で四つんばいの姿勢になっていた。その体勢が痛みを逃がすのに楽らしい。しかし、6時すぎに巡回してきた看護師さんは「あ〜、まだまだね」とあっさり言った。この時点で陣痛の間隔は5〜7分ほどだ。

 朝8時になり朝食。しかし妻は食べたものを吐いてしまった。痛みはさらに強くなっているようで、こちらとしては身体の具合などいろいろ尋ねたいのだが、しゃべるのも億劫(おっくう)になってきているようだ。

 そして10時前、「そろそろ分娩(ぶんべん)室へ」と唐突に言われた。

 いよいよである。妻は分娩台にあお向けになり、私は傍らに立つ。

 子宮収縮と胎児心拍数を計る機械が妻のお腹につながれた。脈拍は160前後と速く、子宮収縮の値は陣痛の間隔に応じて波形を描く。「呼吸はゆっくり焦らず、目を開き、顎(あご)を引いて、しっかりいきむように」と助産師さんが言う。私がただ所在なく傍観していると、「だんなさんも一緒に呼吸してあげて」と叱咤(しった)された。子宮収縮の直後に心拍が下がったり、へその緒が首に絡まっている危険性があると聞いていたが、それは大丈夫なようでほっとする。

 2〜4分おきに陣痛の波がくる。そのたびに妻の顔は歪(ゆが)み、紅潮する。思わず声が漏れるのだが、声を出してはいけないらしい。

 「マラソンと同じ。声を出して余計なエネルギーを使っちゃいけないの」と助産師さんが言う。この「マラソンと同じ」という例えは、私には分かりやすかった。呼吸が大事なのも、身体を反らさず顎を引き締めないといけないのも、マラソンと同じ。給水もあって、容器を口元に添えるのは私の役目だった。

 さらに、マラソン選手がアドレナリンの分泌によって「ランナーズハイ」と呼ばれる一種の恍惚(こうこつ)状態におかれることはよく知られているが、分娩時の妊婦も同じ状態になるという。「信じられないかもしれないけど、陣痛の合間に寝てた」とは、後で妻が語ったことである。

 「死ぬかと思った」とは、これまた妻の言葉である。目をかっと見開いたかと思うと悶絶(もんぜつ)し、この世のものとは思えないほどの真っ赤な鬼の形相になり、痛みが引くとともに顔が白くなって目を閉じて眠りに落ちる。その繰り返しは、見ているこちらが怖くなるほどだった。

 2時間くらいが経(た)った。

「赤ちゃんが見えてきた」。そう言われてのぞき込むと、海苔(のり)のようにべったりした頭髪が見える。目頭が熱くなってきた。

 さらに何度かのいきみを経て、赤ちゃんの頭がだいぶ大きく見えるようになってきた。当たり前だが、血まみれである。狭い産道を抜けてくる赤ちゃんも必死なのだ。自ら生まれやすいように、頭がい骨を変形させ頭を尖(とが)らせて出てくるのだ。

「よし、次で出そう」。ついに院長先生が口を開いた。

 妻の表情が激痛に歪(ゆが)む。身体が反り返って力が逃げてしまわないように、私は妻の頭をぐっと押さえる。これも夫に与えられた役目の1つだった。院長先生と助産師さんの手がすーっと伸び、赤ちゃんの頭に続いて、胸が、腕が、そして全身が見えた。

「ほぎゃー!!!」

 ……わが子の誕生に感動したのはもちろんのことである。だが、それ以上に、お産の凄(すさ)まじさ、生命の迫力に衝撃を受けた。

 今後子どもの生まれる予定、ないし可能性があるすべての男性諸氏に、そのときは立ち会われることをぜひおすすめしたい。
(2007年2月19日掲載)

先頭へ戻る
 
書庫一覧へ