ふねしゅーの地球紀行
  旅人党宣言
表紙へ戻る
古い日記へ

  3月29日(弥生一日)
 さんざん旅をしてきた私であるが、まだまだ見ていないものが世の中にはたくさんある。その一つが、皆既日食である。
 日本時間の午後七時過ぎから、リビア、エジプト、トルコの各国で、皆既日食が観測された。テレビやネットでも中継されていたらしいが、あいにく私は見ていない。しかし、映像などではなく、肉眼で、そして全身で、いつか絶対に体験したいと思っている。
 皆既日食なんていうものは、ともかくも稀な現象であるが、世界的には、数年に一度どこかで起こっている。記憶に新しいところでは、私がまだ前の会社に勤めていたころ、東欧から中東にかけて皆既日食があった。今回もトルコが入っているが、前回も入っていて、くしくも私が手配したお客様に苦情が生じてしまったことでよく覚えている。また、三年ほど前になると思うが、南アフリカのほうでも皆既日食があった。私も旅行日程をうまくあわせれば巡りあえていたのではないかと思うと、少し残念である。
 実際に体験した人の話によれば、皆既日食は、とにかく涙が止まらなくないほどの感動があるらしい。太陽が消えるという異変を、そこにいる動物たちも敏感に感じとり、鳥たちもざわめき羽ばたき出すのだと聞いた。
 というわけで、今後の皆既日食の予定などは、まったく調べてはいないのだが、いつかは必ず現物を見てやろうと、そう思っているのである。
 小学生のとき、当時の担任の先生が、今日は皆既日食があるからテレビでご覧なさいと言った。そのときはインドネシアが舞台だった。幼心に見たダイヤモンドリング(皆既日食の過程で、太陽の光がダイヤモンドの指輪のように輝いて見える状態)が忘れられない。
3月26日(如月二十七日)
 桜の咲く季節がまたやってきた。春の風物詩であり、おそらく日本人が最も好きな花である桜。今年は去年より多少開花が早いらしい。
 子供のころはあまり桜を愛でた記憶がない。駅から高校までの道が桜並木であったことを覚えているくらいだ。たぶん花見をするという習慣がなかったためだろう。
 生まれて初めて花見をしたのは大学のとき。最初は呑めない酒を呑まされる行事で、あまり有難いものではなかった。東京では入学式の前に散ってしまうが、仙台では四月の半ば過ぎに咲くから新人歓迎の場として花見はとても都合がいいのだ。
 旅をしているとき、さすがに桜とは全く縁がなかった。「そういえば花見の季節だなあ」とぼんやり思うことはあった。ちょうど三年前の今頃はアフガニスタンにいた。咲き誇る杏の花が、まるで桜のようにも見えた。
 今住んでいるボロ屋の前に小さな公園があるのだが、そこに植わっている樹の何本かが桜であることに、今日気づいた。昨日と今日の陽気で、だいぶあちこちの桜が花を開いているが、うちの前の公園の桜もその一つだったのだ。
 これはいい。今年は家にいながらにして花見ができそうである。
3月23日(如月二十四日)
 またまた野球の話。日本世界一!である。
 私はイチローと同い年である。孤高の天才といわれ、やもするとクールで取っ付きにくい印象のあったイチローが、喜怒哀楽を表に出して愛国心を剥き出しにする様子が、連日テレビやスポーツ新聞を賑わせていた。なにがイチローを変えたのか、という分析が記事にもなっていた。
 形は違えど長く日本を離れていたことのある私には、そんなイチローの愛国心にとても共感できる。日本にいても、決して自分が日本人であることを痛感することはできない。海外へ出て初めて、自分が日本人であることを思うのだ。イチローが日本代表として張り切るのは、しごく当然なことであった。
 優勝後の祝勝会で、年下の選手たちからシャンパンをかけられたイチローが「お前ら先輩を敬えよ」と笑顔で怒鳴る場面があった。テレビのコメンテイターが言っていたが、先輩・後輩という概念はおよそアメリカにはない、アメリカ人には理解できない人間関係であると。しかし私はこの言葉こそが、世界一を勝ち得た日本チームの、なにより強い結束の証ではなかったかと思う。
 野球がベースボールに勝った。アメリカの新聞をして、そう見出しに書かせた今回の日本優勝である。戦後長らくアメリカに従属し、アメリカの言いなりに成り下がってきた日本にとって、たかがスポーツではあるが、一つの転機になるのではないかと私は期待する。私たちイチロー世代の戦いは、今まさに始まったばかりなのだ。
3月17日(如月十八日)
 また野球の話。韓国が負けなしの六連勝で準決勝進出、アメリカと並ぶ優勝候補の筆頭に目されていたドミニカは順当に準決勝進出、五輪王者のキューバも混戦の中南米グループを勝ち抜いて準決勝進出、そして最期の一枠に我らが日本が起死回生で滑り込んだ。大リーガーで固めたドミニカ、大リーガーが六人いる韓国、二人だけの日本、そして一人もいないキューバ。メジャーだけが世界の野球ではないことを、図らずも示している結果と言えるのではないだろうか。
 テレビ朝日の解説者栗山英樹が、WBCが始まる前にダークホースとしてキューバを挙げていた。その理由は、今回参加した強国の中で唯一キューバだけが、まず代表ありきでチーム編成をしているからという単純明解なものだった。野球というスポーツが、まさにチームスポーツ、組織のスポーツであることを、二次リーグが終了した今、実際の試合結果が証明している。
 アメリカの敗退はたしかに意外だが、しかし個々の能力がいくら高くてもチームとしてまとまっていなくては脆い、そのことを明らかにした。日本戦の誤審がなかったら、アメリカは二次リーグ三連敗だったのだ! 今日メキシコがアメリカに勝てたのも、チームが一丸となったからであろうし、韓国がアメリカや日本を破ったのも、チームとしての一体性がより強かったからではないだろうか。逆にいえば日本の苦戦は、日本チームが、まだ個々の選手の寄せ集めの要素が強く、真の代表チームとしての一体感に欠けていた、少なくとも韓国よりは一体感が劣っていたからと説明することができる。
 同じことが野球だけでなく、スポーツの話だけでなく、実社会の様々な組織に対しても言える。いくらできる人間を揃えても、チームワークがよくなければ組織としては機能しない。個人主義、自己責任という言葉が横行する時代であるが、一人一人の力よりも、むしろ全体としての和の力のほうがずっと重要であり、1+1は必ずしも2ではなく、3にも4にもなるし、1・5にしかならないときもある。そんな世の中の仕組みをWBCは教えてくれているのかもしれない。
3月13日(如月十四日)
 スポーツの世界では、実はよくあることなのかもしれない。
 思い出してみれば、たとえば五輪柔道の篠原選手が決勝で敗れたときも、疑惑の判定といわれた。あるいは日韓共催W杯のときは、審判の地元贔屓が相当な批判の対象にもなった。
 しかし、である!
 ニューヨークタイムズいわく「野球を通じて友好を深めるはずの大会で、最初の事件が起きた」であり、韓国中央日報いわく「WBCを‘世界最高の野球祭り’から‘米国の、米国のための、米国による祭り’に転落させる」であり、我らが王監督も「野球がスタートしたアメリカで、こういうことがあってはいけない」と怒り沸騰なのである。あからさまなアメリカ贔屓の大誤審により、日本は八割方その手に収めかけた勝利を屈辱のサヨナラで逃してしまった!
 日本時間の早朝に始まった試合、私は早起きして、テレビをつけて、いきなり絶叫して妻に怒られた。イチローが先頭打者ホームランを放ったからである。その後、川崎のタイムリーで追加点を挙げ、アメリカもソロアーチで一点を返し、3対1となったところで残念ながら出勤の時間がきた。
 仕事中も念力によりたびたび試合経過を確認していたのだが、結果は御存知のとおりである。私は帰宅後テレビのニュースで見たのだが、ともあれ納得はできるはずもない。
 ああ、アメリカよ。ただでさえ嫌いなのに、これ以上、野球という私が大好きな分野においてさえ、嫌いにさせないでくれ、と言いたい。
 ただ柔道やサッカーの場合と違い、今回はそれっきり終わってしまったわけではない。日本にはまだ、メキシコと韓国に勝って、再びアメリカをぶちのめす機会が残されている。姑息な誤審を利用してまでアメリカが勝ちにきたということは、それだけ日本の強さが認められたことの裏返しでもある。
 日本の復讐を期待する。
3月12日(如月十三日)
 よく聞かれる質問の一つに「どこの食事が一番おいしかったですか?」というものがある。私はあまり食にこだわって旅をしていたほうではないので、この手の質問はあまり得意ではない。たいがい「なんだかんだで中華」というツマラナイ答になってしまう。
 昨日、また旅人飲み会があったのだが、そのときも食べ物の話になった。そこで聞いた話がとても面白かったので、適当につなぎ合わせて紹介する。
 まず、中華料理には五つの味がある。すなわち、甘味、辛味、苦味、塩味、酸味である。この五要素をふんだんに引き出すことにより中華料理は世界に冠たる美味しさと種類の豊富さを誇っている。
 ところがフランス料理には六つ目の味がある。それは渋味である。中華料理に渋味がないのか私にはよく分からないが、ともあれフランス料理には第六の味として渋味がある。
 さて。世界にはかくして六つの味があるのだが、実はもう一つ、七つ目の味が存在する。世界中どこを探しても他には見つからない七つ目の味こそが、唯一日本料理の有する旨味である。旨味は化学的にはグルタミン酸として実証されている。昆布等に含まれる、いわばダシの文化だ。これを商品化したものが、味の素である。
 ここからが本題。その世の中に存在する七つの味、甘味、辛味、苦味、塩味、酸味、渋味、旨味、その全てが含まれている奇跡の食材が、一つあるのだという。もちろん七つ目の旨味を有する日本料理の食材であり、たしかに日本以外の国ではまず口にすることがないだろうと思われる。日本でも東北、北海道に多く、西日本の人には馴染みがないだろうという代物、実際私の妻は食べたことがないと言った。私は学生時代仙台に住んでいたので、そのときに初めて食べた。たしかに酸っぱくもあり、苦くもあり、辛さや渋さやもあるように思うし、海のものであるから塩っぱさもあって、ほんのり甘いような気もする。そして旨い。個人的には納得であった。
 解答はこの頁の一番下↓↓↓

3月9日(如月十日)
 久しぶりの更新である。その久しぶりの更新に、嫌なニュースである。あまり新聞やテレビで報道されていないのは、日本のマスコミが「大した事件でない」と判断しているのか、私たちの感覚が「またか」と麻痺しているのか、あるいは「メール問題」のほうが重要ニュースなのか、よく分からないが、とにかく私の個人的関心からすると決して看過することのできない大事件である。
 ヒンドゥ教聖地バラナシで爆弾テロが発生し、二十名余りの犠牲者、イスラム系武装組織が犯行生命を出したという。
 ちなみにバラナシというのはどういう場所かといえば、一言で説明するなら「三途の川」である。聖なる川ガンジスが大きく曲がりくねっている地点であり、そこで発散されるガンジスの聖なる力に触れようと、インドじゅうから人々が集まってくる場所である。多くのインド人がバラナシで死ぬことを望み、バラナシで火葬されることを望み、そのあとガンジス川に流されることを望む。
 バラナシの町は、ガンジス川の一方の岸辺にのみごっちゃりと形成され、対岸には何もない。川のこちら側が生者の暮らす娑婆であり、川の向こう側は死者の住む荒涼とした原、すなわち彼岸なのだ。バラナシの町の郊外にはブッダが初めてその教えを弟子に話したとされるサールナート(鹿野苑)があるが、日本にまで伝来した仏教にも伝わる「三途の川」の原風景が、そこにある。
 むろん聖地であろうとなかろうと、爆弾テロが発生するのは悲しいことであるが、よりによってバラナシを狙わなくてもいいではないかと、暗澹たる思いがした。ヒンドゥとイスラムの対立はインド−パキスタンの不仲に例を見るまでもなく、ムガール帝国の時代から繰り返されてきたようなことではあるが、先日デリーで発生したテロ事件とあわせ、ただ宗教対立として片付けることのできない時代の膿みのようなものを感じてしまう。
 戦争がテロを増殖させ、増殖したテロがまた関係のないはずの場所でテロを呼ぶ。北京で羽ばたいた蝶がニューヨークに嵐を起こすというバタフライ効果ではないが、一つの戦争が確実に世界中でテロの嵐を吹き荒れさせてしまったようで、悲しい。
3月1日(如月二日)
 本日3月1日から韓国人の訪日査証免除が恒久化された。愛知万博の期間に暫定的に免除されていたものを、とりあえず2月まで延長措置していたのだが、晴れて恒久的にビザ不要となった。2004年の数字で、日本人の韓国旅行客が244万人いたのに対し、韓国人の日本旅行客は159万人である。その観光赤字が多少なり緩和されることが期待できる。
 現在日本政府は観光立国を掲げて日本を訪れる外国人観光客の増加を目指しているが、最も多く日本に来ているのが韓国人であり、足枷になっていたのがビザの必要性であり、そう考えるとビザ免除の効果は非常に大きい。
 奇しくも今日、韓国の盧武鉉大統領が、靖国問題や竹島の問題について日本を痛烈に批判した。政治レベルでは相変わらずギクシャク関係が続いている日韓だが、だからこそ逆に、庶民の観光というレベルで交流が加速することに、私は大きく期待をしたい。
 日本と韓国は非常に似ている国である。田舎の田園風景や、仏教儒教の文化や、膠着語と呼ばれる文法の仕組みなど、様々な類似点がある。百聞は一見にしかずの諺のとおり、実際に訪れて体験することにより、身を持って親近感を感じることができる。
 私が前の旅行会社に勤めていた九十年代の後半から、若い日本人の韓国旅行ブームに火がついていた。今日この査証免除恒久化を機に、ぜひ韓国人の日本旅行ブームに火がつき、両国あわせて五百万人、六百万人単位の交流に加速化してほしいものである。
七つの味の答
ほや

先頭へ戻る