ふねしゅーの地球紀行
  旅人党宣言
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  2月23日(睦月二十六日)
 またまた三宅島へ行ってきた。さすがに飽き飽きだし強行日帰り日程だから疲れるのだが、去る二月一日に帰島一周年を迎えた三宅島は、ここに来て各方面からの慰問を受け入れている。
 その第一弾(?)が右の写真だ。そう、言わずと知れたガチャピン&ムック。ポンキッキの一団である。空港が閉鎖中の現在、三宅島へ行くための唯一の手段は船、夜の十時半に竹芝棧橋を出航し、翌朝の五時に到着、昼過ぎの午後二時に三宅を出航し、夜の八時半頃東京へ帰るという一日一便だ。行きの船で、やたら大きな荷物を抱えた大集団がいるなと思ったらそれが撮影隊であり、帰りの港でなんだか人だかりができて騒がしいなと思ったらそれがコイツラだった。「撮らないで!」とADらしき兄ちゃんが騒いでいたが、撮っちゃいました。ついでにいうと、ガチャピンの後ろのピンクの服でかぶり物をしているのがブラザートムで、その向かって左の男性はV6の井ノ原(たぶん)である。ざっと十人くらいの島のチビっ子たちが、お母さんたちに連れられながら、乗船するガチャピン&ムックたちに「バイバイ!」と手を振り続けていた。
 ちなみに三月の上旬に三宅島を訪れる予定なのは、天皇皇后両陛下である。さすがに大衆的なフェリーになど乗るわけはなく、ヘリコプターで御訪問されるらしい。その数日前から多くの警備艇が島に集結し、厳戒体制が敷かれるとのこと。
 島のあちこちで道路や橋の修復工事が進められているし、店なども徐々に多くが営業するようになっている。その一方で、まだ二地区が火山性ガスの高濃度地区に指定されており、人の戻らない廃虚がそのまま残されている。私がここまでまとまった戸数の本物の廃虚を見たのは、アフガニスタン以外では三宅島だけである。戦争は人災であり、噴火は天災であるが、復興の道のりが容易でないことは共通点している。

2月20日(睦月二十三日)
 トリノ五輪が行われている。さっぱり盛り上がっているように思えないのは、やはり日本がまだメダルを一つも取れていないからだろうか。モーグルもスケートもジャンプもだめで、もう残すところ頼みの綱はフィギュアだけという状況。フィギュアも日本勢は国内で騒がれているほど強くはなく、このままメダル0の可能性も高いと言われている。
 オリンピックは参加することに意義がある、なんて言葉はきれいごとで、やっぱり勝負事は勝たないと意味がないとは思うのだが、でも私は日本が弱くても、この一週間わりと夜更かしをしてテレビの前に鎮座していることが多い。なんだかんだいってスポーツを観るが好きなのだ。
 私は子供の頃から運動能力がなかった。かけっこは遅いし、野球やサッカーは下手だったし、鉄棒も跳び箱も苦手だった。要は速筋が弱いのであって、持久力を司る遅筋はそこそこ機能しているのだと知ったのは、ずいぶんと大人になってからだった。ともあれ、オリンピック選手なんて途方もない運動エリートであり、まったく別世界の人のように思えてしまうのだ。
 その点でスノーボードの山岡選手には驚いた。31歳という年齢は他にもベテランの選手がたくさんいるのでさして驚くには値しないが、元々ごく普通の会社員で、その会社員時代にスノーボードを始めたのをきっかけとして、その後オリンピック選手にまで登りつめてしまったというのだから凄い。逆にいえばスノーボードがまだそれだけ競技として歴史が浅い証明なのかもしれないが、たとえば二十歳を過ぎて初めてサッカーを始めた人が、三十になってワールドカップに出場するなどということは有り得ないだろう。
 調べてはいないが、カーリングとか、そのほか夏期五輪の種目も含めていくつかのマイナー競技については、あるいは同様に二十歳を越えてから競技を始めた人が五輪代表に選ばれたというケースがあるのかもしれない。なんだかとても羨ましい限りだ。もちろんそれは天賦の才があってのことなのだろうけれど、中には幼稚園くらいの年齢から英才教育を受けてその競技に打ち込んで、しかし結局花開かずに散っていく人もいるのだろうから。
 さて。私は今年で32になるが、さすがに三十を越えてこれからオリンピックに出るのは、たとえどんな新種の競技が登場したとしても無理だろう。そう考えて、一つだけ妙案を思いついた。今回のトリノでは、クロスカントリーにタイ人の選手が出場している。御歳なんと47歳! 
 どうだろう? オリンピックに一度でいいから出場してみたくてたまらない人、世の中にはたくさんいると思うのだが、雪など見たこともないような熱帯の国の国籍を取れば、きっとオリンピック選手になれる(はず)。 
2月16日(睦月十九日)
 神戸空港が開港した。えっもうなの? いつのまに? というのが第一印象だ。続いて、そんなのいらないだろう、無駄だ! というのが第二印象にくる。
 すでに関西には関空と伊丹という二つの空港がある。しかも関空はまだ滑走路が一本しかない不完全な状態で、なおかつ大赤字だという。その上で神戸空港と旅客の奪い合いになったら、共倒れになるのは目に見えているような気がする。関空は国際空港、伊丹は国内の基幹空港、それに対して神戸は地方空港としての位置づけだから共存可能だと運営する神戸市は言っているようだが、相当に甘い見積だろう。中部空港ができて元気のある名古屋圏に負けないためにも、東京圏に追いつくためにも、むしろ大阪圏が一丸となって、国際ハブとしての関空を育てるべきだと思う。
 香港、ソウル、上海、バンコク、クアラルンプールなどなど、東アジアの主だった都市で、新空港を開いていない都市はないのではないかと思えるほど、ここ十年くらいアジアで巨大空港が次々と開港している。明らかにアジアの航空需要の争奪戦であり、世界第二位の経済力を背景に君臨する成田空港の座を脅かそうとしている。日本は赤字垂れ流しの地方空港ばかり造り続けて、完全に立ち後れていると言わざるを得ない。
 実のところ、京都・神戸等を含めた大阪都市圏の人口規模を考えると(世界の十位に入る巨大都市圏である)、私は関西に三つくらい空港があっても、充分にやっていけるような気もしている。横浜・千葉等を含めた東京都市圏では空港が足りず、羽田を再拡張したり、横田の民間利用が叫ばれたりしているが、やはり東京圏にも三つ目の空港があってもいい。ニューヨークもロンドンにも三つ以上の空港がある。
 つまるところ問題は、国際競争を視野に入れた日本国としての空港政策がない(あるのかもしれないが全く見えない)ところだ。いつか日本はアジアの国々に抜かれると、だいぶ前から言われている。実際に日本とそれぞれの国を比べてみると、まだまだずっと日本のほうが豊かで技術力もあるし、なんだかんだで教育水準も社会資本の水準も高いし、当分は大丈夫じゃないかとも思える。しかし、物流と人の流れの要である空港に焦点を当てて考えてみると、「軽くヤバイ」どころじゃすまされない! そんな危機感を感じてしまう。 2月12日(睦月十五日)
 夫婦共に色々多忙だったのだが、一段落(?)したということで、久しぶりに車を走らせた。目的地はどこでもよかったのだが、うちから練馬インターが近いということもあり、関越道に乗って群馬県を目指した。
 最初は伊香保温泉に行こうという話だったのだが、温泉に浸かるだけでは時間をもてあますので、ついでのドライブでまず榛名湖に向かうことにした。標高千メートルを超える道のりは雪道が若干心配であったが(うちの車は恥ずかしい走りができない『札幌』ナンバー)、好天にも恵まれ、さほどおっかない箇所はなく、難なく辿り着いた榛名湖は一面真っ白の銀世界であった。
 そう、冬期凍結する榛名湖はワカサギ釣りが盛んなのだ。寒風吹き抜ける氷点下の氷上で、大勢の家族連れや団体客が、火鉢を隣にして釣り糸を垂らしていた。ちょっくら挑戦しようかとも思った私たちだったが、あまりの寒さと、あまり釣れていなそうな雰囲気だったことから、湖畔の食堂で八百円のワカサギ丼を食し、満足することとした。
 それにしても氷結した湖の上に雪が積もって真っ白に染まっているさまは、なんとも不思議で素晴らしい眺めだった。榛名湖は夏にも訪れたことがあるはずなのだが、同じ場所とは思えない、まったく異種の眺望であった。
 私は雪景色が好きだ。好きどころか、一種の敬意の念を抱いていると言ってもいい。私は二度の冬を海外自転車旅行の途中に過ごしたが、一冬目は中東からアフリカに下り、二冬目はインドやネパール(念のため、ネパールは沖縄と同緯度である)にいた。自転車にとって雪は大敵であり、その点において私は極力雪から逃げたのだ。しかしながら決して雪が嫌いなわけではなく、大好きなのである。こうして手段は車であっても、真っ白な世界に触れると、春や夏や秋の景色というものがあまりに平凡で、冬だけが特別なのではないかと、そんなことを思ってしまうのだ。それぞれに生命感のあふれる春や夏や秋に対して、冬だけが圧倒的に凛としている。
 そんな冬の美しさを再認識した日帰りお気楽ドライブであったが、露天風呂のあとに湯冷めをしてしまったのか、妻が風邪を引いて熱を出してしまった。冬は美しいだけではなく、厳しさと恐さを併せ持つのである。おそるべし…
2月10日(睦月十三日)
 皇室典範改正案の今国会での提出が見送りになった。女性・女系天皇を認めるか否か、この論争が、秋篠宮紀子さまの御懐妊によって、ひとまず先送りになったという形だ。とはいえ秋に生まれるお子様が女の子であった場合はもちろん、男の子となった場合においても、さらに次の世代における皇位継承の問題を考えると、どこかでなんらかの決着をつけなくてはいけない難しい課題である。
 私自身、この問題に関してははっきりこれだという意見がない。天皇制に対する考え方が以前と比べると変わってきているし、また勉強不足な面も多い。ことは単に女性・女系天皇○か×かという二択ではないのだ。女性天皇と女系天皇は明白に違うし、女系天皇に賛成の人の意見にも、女系を認めたほうが安定的に皇位継承者が保てるという理由もあれば、男女平等を唱える理由もあれば、はたまた将来的な天皇制の廃止を期待している人々もいる。また女系を認めない人の中にも、旧皇族の皇籍復帰を提案する場合もあれば、側室や一夫多妻などという意見まで飛び出てきている。
 そんな紛糾迷走している論議が、御懐妊報道で一段落している恰好だ。秋までの臨時停戦のようなものだが、この間の論争の冷却期間が、私としては非常に興味深い。そもそも天皇制の存在自体が民主主義とは相容れないものであるという意見がある。私もかつてそう思っていたことがある。大相撲の土俵に女性があがっていいかどうかで議論になったことがあったが、そもそも伝統や文化というものは、おおよそ近代的な平等主義や民主主義とは折り合いが悪い。だからといって必ずしも後者が正しいわけでは決してない。このあと再開されるであろう論争においては、日本人としての歴史観や国家観が大いに問われることになるだろう。その点、今回の「先送り」は正解である。
 私もその間にもう少し深く、日本について学ぼうと思う。
2月5日(睦月八日)
 デンマーク紙がイスラムの預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載し、その漫画が欧州各紙に転載されたことに端を発したイスラム諸国の反発と抗議活動が過熱化している。大使の召還や、デンマーク製品の不買運動、果ては大使館への放火事件へと発展しているからただごとではない。
 日本の新聞は賢明にも転載していないし、私も特にネット上で探したりはしていないから、それがどんな漫画なのかは見ていない。文章では、「爆弾のついたターバンを巻いた預言者ムハンマドの姿」とだけ説明されている。
 周知のとおりイスラム教は偶像崇拝を禁じている。特に唯一神アッラーと預言者ムハンマドの姿を何らかの形で描くことは最大の冒涜とされている。モスクを訪れたことのある人は御存知だと思うが、神の像や宗教画のようなものは一切なく、ただアラビア語で「アッラー」「ムハンマド」とその名が書かれたものだけが額に入れて飾られている。神は人智を越えた想像を越えた存在であるから、その姿形を石像なり絵画なりで描いた時点で、少なからず神を貶めたことになるという考え方だ。石ころを有り難がって拝むな、そんなものは神様じゃない、ということだ。こういう考え方はイスラム特有のものではなく、ユダヤ教もそのはずだし、初期の仏教も仏像を作らず、蓮の花でお釈迦様の存在を暗喩していた。キリスト教もギリシア正教では聖像を禁じている(宗教画はある)。
 右上の漫画は、集英社刊の漫画世界の歴史に描かれている一コマ、馬上の人物こそムハンマドである。太陽の光を受けた逆光という設定で、うまく顔を描くことを避けているのが分かる。
 表現の自由か、宗教の冒涜かという論議は、非常に難しいところだと思う。ただ爆弾を持たせてテロリストになぞらえたというのは、あまりにも稚拙でまずかったのではないだろうか。たとえばキリストが戦車に乗ってイラク国民を押しつぶしている風刺絵などを描いたら、やはり相当な大反発が起こるだろう。これがブッシュであればさして問題はない(それでも議論は起こるだろうが)。ラフサンジャニやカダフィを漫画に描くのなら問題はない。預言者ムハンマドだから大問題なのだ。下衆な例えになるが、デンマークは王国であり現在元首は女王であるが、そのヌード写真を大々的に掲載するようなものである。
 ドイツ紙は「欧米社会には冒涜する権利もある」と書いたそうだが、本当にそうだろうか? 「批判する権利」はあっても「冒涜する権利」はないのではないだろうか。つまるところ異文化を尊重する心を持たない者たちが、自分たちの権利だけを主張しているようにしか思えない。 
 世の中には言っていいことと悪いことがある。小学校で習うようなことだ。

2月2日(睦月五日)
 献血に行った。たまたま時間が空いたからというのが半分と、世の中のためになることをしているという自己満足感が半分だったのだが、正直なところを言えば、私は献血が苦手である。
 注射が苦手なわけでも、血を見るのが嫌だというわけではない。身体的に献血にはあまり向いていないのだ。血管が細くて看護婦さんが針の刺し方を戸惑うことがあるし、痩せているために今回は事前に体重計に載ってくださいと言われた。以前は成分献血をしようとしたときに、結局受け付けてもらえなかったことがある(今回は400ml献血をした。一応してもらえた)。
 さて。実は、血管の細さや、体重の少なさ以外にも、私にはいくつか基準ぎりぎりの要素があった。念のため、エイズ検査目的の献血であるとか、不特定多数と性行為をしているとか、男性との性交渉があったとか、薬物をやっているとか、そういう献血禁止行為に触れているわけではない。では何かといえば、海外渡航歴の多さである。
 献血を受けたことのある方は御存知だろうと思うが、問診票には訪れた国名を記入する欄がある。以前は過去三年以内くらいの時間範囲だったように思うのだが、最近基準がより厳しくなったらしく、昭和55年以降の渡航歴を書いてくださいと、あった。昭和55年当時私は6歳である。つまり、人生における海外渡航歴を全部書いてくれという意味になる。加えて特にイギリスへの渡航歴、および他のヨーロッパ諸国に数カ月単位の滞在歴がある方は、御遠慮下さいと明記されていた。それ以外に、マラリアやB・C型肝炎にかかったことのある人もダメですと書かれていた。
 いちおう私は明確に引っかかる箇所はないのである。ユーレイルパスの使えないイギリスには行ったことがないし、ヨーロッパは比較的駆け足で巡っているために一ヶ月単位で長期滞在した国はない。ちなみになぜヨーロッパがダメなのか尋ねたところ、狂牛病の恐れというお答えだった。マラリア患者を病院に連れていったことはあるし、A型肝炎なら経験したことはあるのだが、該当の疾病ではない。さすがに六十数ヶ国の渡航国すべてを羅列はしなかったが、最も最近の訪問である南米や、中国やインドなどは答えたが、特にそれで断られるということもなかった。
 私は医者ではないので、詳しいことは何も分からない。ひょっとしたら採血だけされて、そのあと医師判断により、こんな海外たくさん行っている奴の血は危ないと、私の血液が破棄されている可能性がないとは言えない。しかし、だ。これだけ日本人が海外に行くのが当然化していて、しかもヨーロッパ(特にイギリス)に行く人などとても多いだろうし、逆にずっと日本に閉じこもっている人の血液がサラサラかといえばそんなことは有り得ないだろうし、ただ単純に渡航歴の有無だけで判別するのは最善の方法なのだろうかとも思う。とはいっても、米国産牛肉と一緒で、少しでも疑わしいものは、やっぱり一切入れないという、厳密な安全率が必要だということなのだろう。万が一の確率も許されない分野の話である。
 そんなことを考えると、ひょっとして自分は献血しないほうがいいのだろうか、しないほうがよかったのだろうかと、不安に思ってしまった。

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