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★ ふねしゅーの地球紀行 旅人党宣言
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1月29日(睦月一日) 昨日旅人飲み会があった。旅で出会った旅仲間との飲み会はたびたびあるのだが、昨日はその中でもちょいと特別な集まりだった。どう特別なのかというのはただ個人的な思い入れであり、あまり意味はないのだが、四年ぶりの再会であり、イスタンブールやカッパドキアで大騒ぎした連中であり、はたまた何人かは一緒にイラクへ行った顔触れであるという点で、やっぱり自分の中の意識として、ずいぶん違った懐かしさと嬉しさがあった。 イスタンブールでトルコ代表がW杯出場を決めたプレーオフの試合を見に行ったのだが、日韓共催の大会から四年が経ち、今年はドイツ大会が行われる。当時まだサダム・フセインが健在だったイラクにヨルダン発のツアーで訪れたのだが、あの人々が優しく温かだったイラクが、四年経った今では悲惨たる戦場の国になってしまった。四年という歳月は短いようで、またずいぶんと長い。 「白いなあ」と私は、みんなから開口一番驚かれた。自分ではまったくそんな意識はなかったのだが、あのときはちょうどギリシアあたりでガンガンに陽射しを浴びて日焼けしたあとにトルコに突入していたから、相当黒かったのだろう。しかし他の顔触れをざっと眺めてみると、着ている服がこぎれいだったり、髪型が変わっているのを除いては、さして変わっているような気もせず、それほど老けたようにも思えず、不思議な感じがあった。それでも私を含めて何人かは結婚していたり、トルコやイラクで一緒だったときにはみなただ「旅人」であったのが、今ではそれぞれに仕事勤めをしていたりして、確実に変わっているのだ。 この感覚はなかなか他の人には説明しても通じないと思うのだが、たとえば高校や大学や前の会社のときの友達と久しぶりに出会うようなときも、やはり誰かが結婚していたり、子供ができていたり、あるいは転職していたりと変化が当然あるのだが、それは当たり前の日常としてすんなりと理解ができる。ところが非日常の旅で出会った友達が日本で通勤電車に揺られているなどと聞くと、妙に違和感を覚えてしまうのだ。それはたぶん、海外で出会ったときは、ただお互い「旅人」として出会っていたのであり、日本での日常とはかけ離れたところで付き合っていたからなのだろう。 旅の仲間との再会は楽しい。ひさしぶりにのんびりと旅の思い出話などして、無為な時間なのだが、それがどうしようもなく楽しい。ただ困ったことは、また旅をしたくなってしまうことと、旅で出会った日本人とだけではなく、旅で出会った外国人とも再会したくなってしまうことである。前にも同じことを書いたような気がするが、私には数十人単位で、直にお礼を言いに行かなければならない人たちがいる。いつか絶対に行かなきゃその前には死ねないなと、またそんなことを思ってしまった。 1月25日(師走二十六日) ここ数日どこもかしこもホリエモンである。ライブドア元社長の堀江容疑者逮捕のニュースでもちきりである。私は経済ネタには疎いのだが、興味深いのは東京拘置所についての話だ。東京タワーすら見下ろすことのできる六本木ヒルズの住人が、たった三畳の独房生活に耐えられるのかという扇情的な見出しがスポーツ紙などを飾っている。 三畳ひと間、暖房なし、テレビなし、便器むき出し、質素な食事、などという説明を聞いて(あるいは写真などで見て)、一般の人でも自分だったら耐えられないという人は多いかもしれないし、私みたいな旅を経験した人間や、さらには家のない人々からすれば、罪を犯した上に雨露しのげるんだから充分贅沢な話だと、そう思えるかもしれない(念のため、堀江氏は容疑者なので、罪確定ではないが)。 ともあれ罪人(もしくは逮捕された容疑者)が、その後どんな扱いを受けるのか、その見えにくい部分が、これだけ強調されてテレビや新聞で宣伝されているという点に、このニュースの面白い特長がある。だいたい普通の事件で、犯人が捕まったとしても、逮捕されたその後を気にされることはほとんどないが(あっても裁判のときくらいで)、ホリエモンの場合、従来あまりにマスコミへの露出が頻繁な人物だったため、三畳の独房でぽつねんとしているであろう様子が、日本中の人々にとってわりと容易に想像できてしまうのである。ほら、今夜も彼は独房の(冷たそうな)布団で寝ているはずなのだ。 私は海外で何度か警察のお世話になったことがあり、一度は鉄格子のはまった本物の牢屋(仮の拘置室みたいなものだったと思うが)と中で所在なげに座っている男の姿を見たことがあるが、そんな場面を見ると、ああ犯罪者はこうなるんだなと、実感として理解することができる。悪いことはするもんじゃないなと、実感として思うわけである。そう考えると、身をもってそのことを示してくれているホリエモンはすごい。 「悪いことすると、ああいう所に入れられてしまうのよ」 などというように、子供に言い聞かせられそうではないか。 1月22日(師走二十三日) 私は日本国内も多く旅したことがあるが、日本という国の広さを感じると同時に、どの地方も一様で似たりよったりだなあという印象を持つことが多い。例えば気候という点で考えれば、五月までスキー場の運営されている北海道と、三月には海開きがされるという沖縄では、明らかな違いがある。昨日は関東でもまとまった雪が降ったが、北陸や東北の大雪を見ると、まったく別の現象のようにさえ思えてしまう。 反面、日常的な文化や経済生活といった面では、地方に個性がない。コンビニとかスーパーとかファーストフードなどという店舗形態は、画一化の象徴であるし、テレビや新聞も東京中心に作られている。新幹線や高速道路が次々できて便利になったというが、結局は人を東京に吸い取られるばっかりで、地方に個性と活力がなくなってしまったのだ。 そんな東京一極集中の流れが少しずつ変わろうとしている。小さなところではご当地キティのようなものが流行ったり、方言ブームなどといったところに表れている。方言ブームがさらに定着化し、電車の車内放送や、NHKのニュースなども方言丸出しになったら、きっと国内旅行もずいぶんと楽しくなるのではないだろうか。 何日か前の新聞に道州制についての記事が載っていた。日本全国を、北海道、東北など十前後の道州に分けて、地方分権を押し進めようとする考えである。都道府県という枠組みが現代の地方区分にそぐわなくなっているという一面もあるのだろうが、単に区割りを変えるだけではなく、税源など国の持っている権限を、どれだけ地方に委譲し、地方が独自色を発揮できる仕組にするかが重要だろう。江戸時代は中央政府としての幕府は存在したが、基本的な内政は全て各藩に任されていた。政治の中心は江戸、文化の中心は京、商業の中心は大阪、外交の窓口は長崎と、一極集中ではない日本だった。どのような形で地方分権が進むのか、道州制の実現がなるのか、大いに注目している。 ちなみに来たる2月4日、知人の主催で道州制に関するシンポジウムが予定されている。興味のある人は、下記ホームページを参照してください。 道州制.com「市民がつくる道州制」シンポジウムのお知らせ 1月14日(師走十五日) 少し前の話だが、日本橋の上空を塞いでいる首都高を撤去しようという計画が新聞紙上を飾っていた。五街道の起点であり江戸の中心であった日本橋は、残念なことに現在首都高の真下で完全日陰の存在になっている。私は東京出身でありながら、長らく日本橋がどこにあるのかさえ知らず(地名駅名としての日本橋は知っていたが、ここでいう日本橋はいわゆる「橋」そのものである)、学生時代に自転車で訪れて、「え? これが?」と拍子抜けしたことを覚えている。 日本橋から首都高を撤去しようと号令をかけたのは、いわずとしれた小泉首相である。首都高を地下かする案や、迂回させる案などが検討されるらしい。いったいどのくらいの費用がかかるのか、この公共事業削減の時代に何をするんだ、と批判の声も大きいようだが、私個人的にはこれに賛成である。イラク戦争への関与などアメリカ追従の小泉首相は大嫌いなのだが、こういう思いきった施策を打ち出すところが、おそらく彼の支持率の高さの要因なのだろう。第二東名のような無駄道路を造るのであれば、よっぽど日本橋青空計画のほうが魅力的である。 時代は動き始めていると、ときどき感じることがある。東京に首都高が造られたのは東京五輪のときだから、私がまだ生まれる前である。そんな大昔に、経済成長の名のもとに東京の空が醜く塞がれてしまった。 いま時代の価値観がようやく転換期を迎え、東京に青空を取り戻そうという気運が高まっている。当然の動きだと私は思う。 日本橋の空だけではなく、戦後の日本が発展と引き換えに失ってしまったものは多数ある。少しずつ精算し、取り戻していかなくてはならないだろう。 1月11日(師走十二日) 昨年末にボリビアの大統領選挙の投票があり、先住民出身のモラレス氏が当選を確実にしたというニュースについて書いた。ここ最近、お隣のペルーで、やはり大統領選挙に関連した話題がマスコミを賑わせている。最新の一報ではペルーの中央選管がフジモリ元大統領の立候補を不受理したそうだ。根拠はフジモリ氏が十年間の公職追放決議を受けているためとのこと。 そういえば昨年新婚旅行でペルーを訪れた際、街角の壁に「FUJIMORI2006」のようにペンキで大書されていたのをよく見かけた。ペルー在住の日本人の方に聞いた話だと、結局それぞれに取り巻きがいて、おいしい思いをしている連中がいる。だからフジモリ政権下でおいしい思いをしたやつらは、現政権下ではまずい飯を食っており、またフジモリ氏に返り咲いてほしいと思っているらしい。 なるほど、それはしごく分かりやすい話だ。日本だって政治家にはいろいろな利権がぶら下がっているのだ。ペルーなんてましてそうだろう。 さて。日本人としては、日系人というだけで、あるいはフジモリという耳慣れた名前を聞いただけで、なんとなくフジモリ氏が気になってしまうが、私が注目しているのはオジャンタ・ウマラ氏である。かつて反乱軍を率いたことがあるという陸軍中佐。フジモリ氏が指示基盤としてきた貧困層に急速な支持を伸ばしているのだという。そう。ウマラ氏もまた、先住民の血を引いており、反米を唱えている。彼が当選すると、ベネズエラのチャベス大統領、ボリビアのモラレス次期大統領と共に、南米に反米三角形が形成されることになる。ブッシュ米国大統領としても、ベネズエラ一国くらいなら無視するか恫喝でもしておけばいいが、三ヶ国に協調されるということになると、さぞかし頭が痛いに違いない。 というわけで、今年も地球の裏から目が離せない。 1月6日(師走七日) ドラえもんを見た。昨年の四月に声優陣が一斉に替わったことが社会的にもニュースになった国民的アニメのドラえもん。替わったのは声だけではなく、登場人物や背景などの絵柄も一新されていて、とてつもなく違和感があったのだが、それ以上に合点がいかなかったのは、話のオチが変わっていたことだった。 『復元光線』という話。うっかりと学校の花瓶を割ってしまったのび太が、その様子を目撃したスネ夫に弱味を握られてしまい、ドラえもんに助けを求めて反撃の材料を探すという粗筋。原作のオチは、スネ夫がおねしょをしてしまうというものだった。おねしょをネタにして、ドラえもんとのび太は逆にスネ夫の弱味を握るのだ。 ところが今回見たアニメでは、おねしょをするというオチの部分が変えられていた。スネ夫にはトイレに行くときにズボンとパンツを全部脱ぐという変な癖があり、その癖をネタにドラえもんとのび太が反撃するというよく分からないオチに変わっていた。つまり、おねしょが、ズボンとパンツを全部脱ぐという変な癖に変わっていた。これは何を意味するのか? 私はしばし考え込んでしまった。 おねしょ狩りである。 テレビ朝日の局としての判断なのか、脚本家の判断なのか、誰がオチを書き換えたのか謎であるが、おねしょを描くのはまずかったのだろうか? 察するに、小学生になってもおねしょをする子供というのは大勢いる。夜尿症という言葉があるように、あまりにひどい場合は病気の一種とも考えられている。だから、おねしょをネタにいじめられることになるという原作のオチはまずかったのだろう。……か? ばっかじゃないだろうか。おねしょが治らない子供がかわいそうだから、配慮してオチを改めたのだろうか。おねしょが治らない子供に対する差別になるから、原作のオチはよからぬものであると、正しい子供たちのアニメであるドラえもんには相応しくないと、判断されたのだろうか。 以前、小学校の運動会の徒競走で、足の遅い子供がかわいそうだからと、同時にゴールテープを切らせるところがあるというニュースが話題になっていたが、同じ臭いがした。かわいそうとか、差別になるとか、いじめの要因になるとか、そんな甘ったるい平等志向が、どんどん子供たちをダメにしていくのに。 ドラえもんは本来とても毒のあるマンガである。ジャイアンの振る舞いにも、スネ夫のセリフ回しにも、相当の毒が効いている。しずかちゃんの入浴シーンのようにお色気(?)もある。単なる夢いっぱいの優しいだけのマンガではない。だから面白いのだ。 くだらない改竄をするな。私は声を大にしてそう言いたい。 1月3日(師走四日) 昨年は『訣別』の年であった。 新年の冒頭にあって、まずは昨年一年間を振り返ってみようと思う。昨年の末から自分なりに2005年(平成十七年)という年を回想し、また2006年(平成十八年)という年に向けての展望を考えたところ、昨年は訣別の年であったという結論に辿り着いた。 昨年の出来事の中で、自分にとって最も大きかったものは結婚である。結婚の前と後でなにが変わったかといえば、さして変わっていないことも多い。十八のときから家は出ていたし、妻とはもともと一緒に住んでいた。学生から社会人になったときとか、旅に出たときのほうが、むしろ変化という点では大きかったような気がする。 しかし『訣別』である。 私ははっきりとそう宣言する。 過去との訣別であり、家族との訣別である。旅をしている間、出会った人々から家族構成を問われることは多かった。兄弟の人数を聞かれることはよくあった。2005年を境に、私は五人家族ではなく二人家族になった。もしいま同じ質問をされた場合には、「妻が一人」とだけ答えればいい。たった一枚の紙切れにすぎない結婚届が、とても大きな効力を秘めている。家族が他人になり、他人が家族になる。それが結婚なのだ。 最近少年少女を巡る悲惨な事件が相次いでいる。あるいはフリーターやニートやパラサイトシングルなどの自立できない若者たちの増加が社会問題とされている。「最近の若者は根性がない」とか「最近の子供は贅沢だから」とか「私たちが若い頃はもっと頑張っていた」とか、大人たちは好き勝手いうが、私は大きな原因は「子離れできない大人たち」にあると思う。かつて十五歳で元服であるとされた。今の時代、子供が十五になった時点で子離れできている親がどれだけいるのだろうか? 親にとっては子供はいくつになっても子供だというが、詭弁だ。子供は親の知らない間に大人になる。そのことを理解できない親は哀れだし、そんな親を持った子供はもっと哀れである。 そう考えると、三十一歳で結婚した私が、今さら『訣別』だなんて言うのは、遅きに失しているのかもしれない。三十一歳なんて国か時代が違えば下手すりゃ孫がいてもおかしくない年齢でもある。 話が逸れてきたので、まとめる。 昨年の訣別は過去との訣別である。結婚は一つのきっかけにすぎない。新しい人生を踏み出していく決意を言葉に込めて、訣別という強い語調を持つ言葉を選んだ。 前向きな『訣別』である。 そして今年は『布石』の年である。過去と訣別し、未来に布石を打つ。昨年の訣別は今年の布石につながる。 今年は『布石』の年にしたい。 具体的に何かって? それは秘密である。 先頭へ戻る
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