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★ ふねしゅーの地球紀行 旅人党宣言
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12月29日(霜月28日) 今年も残すところあと二日である。子供の頃は1999年にアンゴルモアの大王がやってくると信じていたから、21世紀が本当に来るなんて思えなかったのに、もう来年は2006年になるという。びっくりだ。 正月は初詣に伊勢神宮に行こうなどと思っていた。日本全校に数多ある神社の中で、もし序列をつけるとするならば、第三位が宇佐神宮であり、第二位が出雲大社であり、第一位がもちろん伊勢神宮であると、僕はそんな認識でいるのだが、三位と二位に訪れておきながら、一位だけまだ参拝したことがない。宇佐神宮と出雲大社には世界一周から帰国したその足で旅の御礼に寄ったのに、伊勢神宮だけは行き残した。神道の最高聖地に、日本人として一度は行っておかないとと思ったのだ。 でも、喪中のときは初詣をしたらいけないらしい。恥ずかしながら育ちが悪くてそのあたりよく理解していなかったのだが、初詣だけじゃなくて、おせち料理も、結婚式などのお祝い事への出席も、だめらしい。とりわけ四十九日の終わるまでの期間は忌中とされ、よりだめであるらしい。 こういうのは難しい。伝統をどこまで守るかというのと、時代にあわない部分、そぐわない部分をどれだけ変えていくのかというのは、簡単に判断がつく問題ではない。初詣に行かないからって、でも会社や友達同士での忘年会や新年会などには参加してしまう。神社にお参りに行くのはだめで、宴会に出席するのはいいのかというと、それはなんだかおかしな気がするのだ。結婚式に誘われて、喪中だから行きませんというのは、そういう人ももちろんいるのだろうが、感覚的にはあまり考えにくい。そのくせ、大安とか友引きとか、どうでもいいものだけが守られたりする。 ともあれ伊勢神宮は再来年の正月にした。考えてみると、来年は特に神頼みをしたいような強い願い事もない。あるとしたら再来年か、そのあとになるだろうと思う。そのときまで聖地巡礼は延期しておこう。 12月25日(霜月24日) 同日に行われる予定だった市長選が無投票で決してしまい、盛り上がらない選挙戦といわれ、投票率の低下が懸念される選挙であった。相手陣営は組織票で固めており、こちらは政治経験のない新人候補者だった。なんでも出馬を決めるまでの間には、色々な種類の妨害工作があったようである。 相手陣営は余裕をかましているのか、投票率をあげたくないのか、ほとんど選挙活動をしていないようであったが、対して組織票のないこちら陣営は浮動票狙いで、とにかく選挙のあることを周知する点を、一つ大きく強調しながらの選挙運動だった。いつもならスピーカーを鳴らして走っている街宣車をうるさいなあと思うことが多かったが、いざ自分が騒がしくする側に回ってみると、これはこれで大変である。頭も使うし身体も使う。幸い晴れであり富士山がきれいに見えたのだが、基本的に窓は開けたまま車は走るのであり、とてつもなく寒いのだった。 残念ながら、さきほどインターネットで調べたところ、僕たちが応援した候補は、12.72%という驚異的な低投票率に阻まれ、惜敗してしまった。旧来型の候補に勝てなかったというわけだ。 個人的には選挙というものの仕組が知れて、貴重な経験だった。と同時に、いくら年末の三連休末日とはいえ、十人に一人くらいしか選挙に行かないという結果には、さすがに唖然とした。政治が悪い、政治家が悪いというのは簡単だけれど、これじゃあどうしようもないでしょ。 12月22日(霜月21日) 当選を確実にしたのは社会主義運動党党首のエボ・モラレス氏。なんでもコカインの原料となるコカ葉の栽培支援者であり、天然ガスの国有化を唱え、かつ強硬な反米主義者であるそうだ。南米といえばベネズエラのチャベス大統領がやはり反米大統領として有名であり、アメリカはモラレス氏の当選に懸念を表明しているという。 国際情勢という観点で考えれば、ボリビアに反米政権が誕生するということが、一つ大きな注目点なのだろうが、僕がなんといってもこのニュースに着目し、かつ歓迎するのは、「史上初の先住民大統領」であるという点に尽きる。アメリカがどうであるかは、どうでもいい。 僕は必ずしも世界を隅々まで旅したわけではないし、訪れた国もごく表面だけを覗いたにすぎないのだが、世界中で最も悲惨なのは、中南米の先住民の人々であると思っている。彼らは四百年以上前にスペインの侵略を受け、全文明を破壊され、今に至っている。たとえばアフリカも同様にヨーロッパの植民地支配を受けたが、大きな違いは、現在では多くのアフリカ諸国で黒人政権が確立している点だ(もちろん内戦状態だったり経済的に困窮していたりはするが)。中南米では、より混血が進んでしまっていたこともあり、先住民が支配的立場を取り戻せている国は一つとしてない。白人、混血、先住民という階層序列が歴然としているのである。 それだけにボリビアで先住民の大統領が誕生するというのは、とてつもなく大きな歴史的出来事なのだ。 ちなみにメキシコでは、かつてベニト・ファーレス大統領が唯一の先住民出身の大統領となり、今も国民の尊敬の対象とされ、多くの都市で目抜き通りの名前に冠せられている。 アフリカで出会った黒人たちは概して明るかったが、中南米で出会った先住民たちは往々にして暗い。ラテン系は陽気だというイメージがあるが、純粋な先住民はラテン系ではない。滅ぼされたマヤやアステカやインカの怨念を現代まで引きずっているかのように陰鬱としていた。その証拠(?)に僕はグアテマラで頭を殴られている。 ボリビアは南米の中では最も先住民の比率が高い国である。貧困層=先住民の支持を固め、中流階級からも票を集めたことが勝因であると論じられているが、それにしたって特筆すべき結果だ。アングロアメリカ、ラテンアメリカという言葉があるが、本来アメリカ大陸はアングロサクソンのものでもラテンのものでもなかった。 アメリカの不興を買っていることなどを考えると、順調な政権運営になるとは正直なかなか思えないが、今後のボリビアの動きに注目したい。 12月19日(霜月18日) 週末に葬儀があった。祖母が他界したのだ。 祭壇があり、花で飾られ、棺が置かれ、線香の匂いがたちこめ、お坊さんがお経をあげる。まあ、ごくありきたりの葬式だった。 葬式仏教などと揶揄され、初詣か葬式くらいでしか縁がないと言われる仏教であるが、こと人間の死を扱う場となると、まだまだ宗教というものが重要な位置を占めるところではないかと、僕は思っている。科学がいくら発展し、コンピュータがいくら賢くなったとしても、生や死という分野に関しては、いたって無力だ。人が死んだらどうなるのか、霊魂はあるのか、などという問いに答えられるのは、現在のところ宗教だけであり、これからも当分はそうだと思われる。近年では無宗教葬なども行われているようであるが、それは単にお坊さんに払うお金をケチっているだけのようで、死とは何かという根本的な問いに答えることはできない。 手を合わせて経を唱え故人のために祈る。この行為は、宗教的に充分な意味を持っている。人は誰しも少なからず罪を負って死を迎え、閻魔大王の前で天国へ行くか地獄へ行くかの裁定を受ける。その際に、故人の犯した小さな罪を、どうか許してくださいとお願いするのが、残された遺族の祈りであり、初七日や四十九日と呼ばれる節目の日の供養なのだ。 面白いのは、七日という区切りだ。仏教では、七日ごとに七回の裁定を受けるから、四十九日で最終的な審判ということになるのだが、一週間が七日であるように、キリスト教やイスラム教においても、七日というのが一つ重要な区切りになっている。神は七日間でこの世界をお創りになった、というやつだ。 この共通点は何を意味するのだろう? そんな話を妻にしたら、彼女は月の満ち欠けに関係するのではないかと言った。一週間=七日間というのは、ちょうど新月が半月になり、半月が満月になる日数なのである。 なるほど。そうかもしれないと、僕は納得してしまった。 僕はインドを旅している間、仏教遺跡を巡ったりお寺に泊めていただいたりと、少なからず宗教に触れる機会を持ったのだが、こうして久しぶりに葬式という機会で宗教に接すると、改めて「深いなあ」と考えさせられてしまった。 南無阿弥陀佛。南無観世音菩薩。 (というわけで喪中になってしまったのですが、賀状を送っていただけるかたは、ぜひそのまま出しちゃってください。寒中見舞いを作る予定です) 12月16日(霜月15日) 仕事柄たびたび都庁を訪れることがあるのだが、西新宿の都庁からの眺めというのは、これはなかなか絶景である(わざわざ最上階の展望台までは行かないが、途中の階からの眺めも悪くない)。晴れていればと奥の山並みまで見渡せるし、さらに天気がよければ富士山の姿もくっきりと見える。 下界を見下ろすと、ごみごみと密集した住宅なりビルなりが、遥か遠くまで敷き詰められている。もしこれが一面の野原だったら、さぞかし壮観な眺めだろうなと、ふと思うことがある。江戸時代の頃の風景を見てみたかったと思う。 僕が知る限り東京(周辺都市も含めた東京圏)は世界最大の都市である。裏を返せばそれだけ延々と町が連なっているということである。実際のところ、車に乗って田舎を目指しても、東京都市圏を脱するまでには高速道路に乗ったとしても相当の時間がかかる。 しかし、都庁の高層から遠くの山々を見ていると、これが案外近いように思えて見えるから不思議だ。自転車にまたがって走り出してみれば、わりかし早い時間にあの山の麓まで辿り着けるような、そんな気がする。実際は信号もあるし、交通量はべらぼうだし、道は曲がりくねっているから、自転車で東京を脱するのは容易なことではないが、ただ目視での山までの距離を自分の経験値に照らして測ってみると、これがさほどの距離ではないように見えるのだ。 しょせん山がちな島国の一部分にすぎない。そう考えると、本来は美しい緑の平野だったはずなのに、あれこれ詰め込まれ押し込められた東京という町が、なんだかとても哀れになった。 12月12日(霜月11日) 今年の漢字が「愛」に決まったそうだ。日本漢字能力検定協会が全国から公募した中での最高得票が「愛」だとのこと。 ちなみに昨年は「災」、一昨年は「虎」、その前が「帰」で、さらに前が「戦」、そのまた前は「金」、さらに遡っていくと、「末」「毒」「倒」「食」「震」であった。こうやって並べてみると、たった一文字で意味を表す漢字の力というものが沸々と感じられる。「虎」は阪神優勝の年であり、「戦」は9・11のテロの年であり、「毒」は砒素カレー事件の年であり、「震」はもちろん阪神淡路大震災である。漢字一文字を見ただけでその年を思い出せるというのは、すごい。 でも、なんで今年が「愛」なんだ? と怪訝に思った。最近立て続けに悲惨な事件が連発していることもあって、「愛」などという甘ったるい漢字から彷佛されるような出来事が、今年あっただろうかと首をひねったのである。少し前に今年の漢字が募集中であるというニュースを見たのだが、そのときは候補として「郵」が挙げられており、なるほどなと納得していた(ちなみに「改」が二位で「郵」は三位)。 今年「愛」が選ばれた理由。 『紀宮さまのご結婚や「愛・地球博(愛知万博)」など明るい話題のほか、児童が犠牲となる事件が相次ぐ中、「愛のある世の中を」と願う声も含まれているという』 そういや自分の結婚も今年だし、愛・地球博にも行ったっけ、と苦笑いした。 12月8日(霜月7日) 今日12月8日は真珠湾攻撃の日である(アメリカでは日付変更線の関係で12月7日となるが)。 最近『アメリカの歴史教科書が教える日本の戦争(2003年刊)』という本を読んだのだが、この本はアメリカの歴史教科書の記述内容が年代と共に変化していく様子を分かりやすく解説していた。たとえば戦争直後の1950年代の教科書では、真珠湾攻撃は『奇襲』であり『騙し討ち』であると叙述されていたのに対し、ベトナム戦争を一つの境として、70年代80年代になると石油等の対日禁輸が日本を追い詰めていたことやルーズベルト大統領が事前に真珠湾攻撃を察知していたという話題にも触れられているのだという。 この本の中で、とある高校教師の話として、次のような言葉が記されていた。 「パールハーバー攻撃から61年、ヒロシマ、ナガサキから57年。当時20歳だった青年はすでに81歳、当時15歳の少年は76歳です。彼の体験し、学んだパールハーバーと、今学校で勉強している子供たちのパールハーバーとが違うのは当たり前です。(中略)9・11を即座に『第二のパールハーバー』『カミカゼ』と受け止めるのは、メディアを牛耳っている中年の編集者たちです。(中略)9・11以降、そうしたアメリカの教育が逆行しているのではないか。心配です」 9・11を真珠湾になぞらえ、イラク戦争へと突き進んだのはブッシュ大統領であるが、なぜ小泉首相があそこまでブッシュ追従なのか、そのわけが半分分かったような気がした。二人は同世代なのだ。 ブッシュの言葉より。 「日本はアメリカにとって重要な友人であり、同盟国だ。が、かつては敵国だった。(中略)アメリカは民主主義を日本に教えてやった。日本が世界第二位の経済大国になれたのはアメリカの戦後政策のおかげだ。アメリカはドイツに対しても必要な援助をどんどんやった。民主主義を徹底させた。アメリカとはそういう国であることを世界は忘れてはならない」 12月6日(霜月5日) 僕はずっと都会よりも田舎のほうが治安がいいと思っていた。東京を離れて仙台や札幌で暮らしていたことがあるが、新宿で多国籍の暴力団抗争が起きたなどというニュースを見るたびに、それに比べると地方はのんびりしているなと感じていた。海外においても、山間部でゲリラが出るような国は別として、都会のほうが治安が悪く、田舎は穏やかで比較的安全であるというのは、だいたいどの国においても当てはまる常識のようなものだ。 ところが最近は様子が違うらしい。和歌山の馬鹿市長が「今市はいまいち」という超イマイチなダジャレ発言で顰蹙を買ったが、大都市よりも田舎において悲惨な事件が起きる傾向にあるというその発言の趣旨自体は正鵠を得ているのかもしれない。うちの目の前には公園があり、近所には小学校があり、よく子供の話声が聞こえてくるが、とりたてて人通りがなくて恐いと思うような箇所はない(と思う)。 もう一つ。これは最近聞いて成程と思った話だが、田舎のほうが受け皿がないらしい。受け皿とは何かといえば、言葉は悪いが人生のレールを「踏み外した」者たちに対する受け皿である。たとえば不登校の子供に対する相談室のようなものは都会のほうが充実している。学校を出たあとに就職せずフリーターを続けているとか、あるいは会社を突然辞めて旅に出てしまうとか、そういう様々な生き方が、都会のほうが認められており、田舎のほうが認められ難い。特殊な趣味や嗜好も、都会では受け入れてくれる先があるが、田舎では差別と偏見しか受けない。だからいったん「踏み外して」しまうと田舎のほうが居場所がなくなってしまうという理屈だ。 広島や栃木の事件後、子供の送り迎えのバスを地域で用意することはできないかというような論議がなされている。僕はそういうことはするべきだと思う。そういうことに使うためにこそ、僕たちは税金を払っている意味があるからだ。ただ送迎バスは対症療法にしかすぎない。「踏み外した」=犯罪予備軍というわけではもちろんないが、いかに犯罪予備軍を生み出さないようにするかという根本の問題を、もっと考えていかなくてはいけないだろう。 12月4日(霜月3日) 昨日テレビ朝日系列で「終りに見た街」というドラマを放映していた。現代の家族が突然昭和十九年の戦時中の日本にタイムスリップしてしまうという話だった。 平成の物が溢れている時代と、戦時中の物不足で節約第一の時代。平成の自由な世の中と、戦時中の兵隊が目を光らせ言論が監視されている時代。家族はその差に戸惑いつつも、生きていかなくてはならないため、少しずつ時代に溶け込んでいこうとする。隣組に怪しまれて転居をやむなくしたり、芋を買うために田舎へ出掛けたり、配給の少なさにひもじい思いをしたりする。あと一年足らずで終戦を迎える、そうすれば自由な時代になる、そのときまでの辛抱だと励ましあう。 話の終盤。戦争の行方を知っている主人公と友人は、十万人が死亡する東京大空襲の日付をどうにか警告できないかと、空襲の現場となる下町へ出掛けてビラ撒きなどをする。しかし逆に兵隊ににらまれ、警告どおりに避難してくれる人は誰もいない。そんな大人たちに、子供たちが、みんなが戦争に向かって一丸となって頑張っているのに、なぜくだらない戦争だと言うのか、邪魔するようなことをするのだ、と非難する。非難され戸惑う大人たちがいる。 そこから話は急展開し、テレビ欄に「衝撃の」と書かれていた「結末」を迎える。空襲を受け再びタイムスリップした主人公が、核攻撃を受けた未来の東京で倒れ伏しているという「結末」だった。 作者の意図は分からないが、最後に子供たちが戦争を賛美するような台詞を大人たちに向かって吐くのは、たぶん右傾化していると言われる若者たち(あるいは社会全体)に対して警告をしたいのだろう。それが、未来の東京が新たな戦争によって滅んでしまうという結末に通じているのだと、僕は解釈した。 ただ戦争の愚かさを叫ぶのはたやすいのだが、昭和十九年と平成十七年を比較したときに、では平成時代のほうがいい世の中であるかと、胸張って言えるかといえば、必ずしもそうではないところに現代の歯切れの悪さがある。ドラマの中では、貧しい食事に対して「いただきます」を言う様子が描かれていた。平成十七年にはひきこもりだった高校生が、昭和十九年にはひきこもりなんてないんだと叫んでいた。 今年は戦後六十年である。戦争を知る人は年々減っている。戦争世代といっても、おおむね七十歳以下の人は戦後のGHQ教育を受けた世代(小泉首相はここに入る)であり、本当の意味で戦争を知っているといえるのは、さらに上の世代の人たちであろう。 「嫌な時代になった」とか「昔はよかった」などという台詞を耳にすることが多い。 では、いつが一番よかったのだろうか? それともこれから一番いい時代を迎えることができるのだろうか? 今が一番でないとするなら、それはこの六十年を生きてきた世代の責任であり、これからの時代をよいものにできるかどうかは、間違いなく僕たちの責任だ。 12月1日(神無月30日) 最近日本ではあまり報じられなくなった観のあるイラク関連ニュース拾い読み。 ・イラン人の巡礼者が武装集団に襲われ拉致された。 ・ドイツ人の女性考古学者がイラク国内で拉致された。 ・イスラム教に改宗したベルギー人女性が米軍を狙って自爆攻撃を行った。 ・米国の功績を称える記事を米軍が作成しお金を払ってイラク紙に掲載した。 ・テロリストの打破が完了するまで米軍撤退はしないとブッシュ演説。 まもなく僕がイラクを訪れた頃から丸四年になろうとしている。 あの当時よりイラクがよくなったと思える人はどれだけいるのだろうか。 日本人の中にもイラク戦争に賛成していた人は多くいるはずだが、その人たちは今もイラク戦争は正しかったと思っているのだろうか。フセイン政権が消滅して世界は平和になったと思っているのだろうか。 憲法九条を盾にイラクへの自衛隊派遣に反対している人は多くいるが、反対の理由はそれだけか? 憲法九条の是非とイラク戦争や自衛隊派遣の是非を混同していたら議論は何も進まない。 先頭へ戻る
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